四年目か三年目の、違う、六年は経ってるのかOTLの小学校の運動会撮影。仕事ではない。友人の子どもの運動会だ。純粋に私用だ。
できるだけ個人情報を出さずに書くのは骨が折れるが、じゃ、書かなきゃいいが記録はしたいし、ちょっとは外向けに書きたいこともあるし。個人情報を書かずに書くことも挑戦したいじゃないか。枷がなければ技術も向上しない。積極的に挑戦しないけどね。
で、数年続けているがその間カメラが変わっていない。出来れば民生機か現行発売機種に更新したいのだが、ビデオばっかり撮っているわけでもないし。
数年であって六年間ではないのは、子供は一人ではないからだ。小学生の一年間の変化は大きいので久しぶりに見るとしかも遠距離なので他の児童と全く区別がつかない。親でもなかなか見つけられないので、知らないおっさんはなおさらだ。
たまに行く小学校は発見もそれなりにあって有意義だ。学校との接点は全く無いままだが。学校メタファーは面白いと思う。でも学校そのものはどうなんだろうね。そんなに直接これは勉強って言わなくても誰だって日々学んでいるので、少々気楽にコメントしてもいいんじゃないかと思う。
このコーンの近くに陣取って観覧していたが、通路は使われることは無かった。
観覧していたが、この場所では撮影していない。ビデオ撮影コーナーがあったのだ。これが功を制したのか観覧席がすっきりしていたような気がする。撮影場所は人数に対してそんなに広くは無かったが、もめることも無く撮影したら静かに次の人に交代していた。こういうの大切。
運動会を撮らずに撮るにはどうしたらと撮ったのがこれ。
会場の都合で出入りできる場所が限られているのでこれ以上近づけず、アングルも緩いが、運動会といえばこれでしょう。
で、考える人もいました。
で、僕も考えました。運動会を見てだけじゃなくて、友人と話してて仕事の事とか、業界の事とか、9月からナガラビトがNPO法人化したこととか。この順に話が暗くなっているんだけど。その考えた事や答えはまだ取りとめも無く、答えは出ているけど、更に沈む話になるので今は控えたいが、嘘言って明るい話にしたり、うまい話にするのは違うと思う。
子どもが面白いと思ってくれるものを作れるようにしたいなと。それは毎度思い返している。
子どものためにと思って押し付けるんじゃなくて、子どもから面白いと思って見てくれるってこと。
高齢者も自分の老いへの恐怖ばかり話してるんじゃなくて、子どものために何が出来るか考えるべきじゃないかとかね。
しばらくは高齢者のための高齢者と戦って友人知人を失うことにするよ。て思ったし、俺、そういわれると傷つくよという人に僕が傷つけられることに耐えるよ。