うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984年 日本 監督/押井守)
実は今頃初めて見ました。
公開当時は一作目見て、二作目はまぁいいかなと思って見なかったんだよね。ガンダムの映画も一作目見て、まぁいいかなと思ってそれ以降見なかったんだよね。もったいない話なんだが。まあいいかと思ったしまった理由は、TVでいいんじゃないか。です。どちらも映画一作目はTVシリーズの延長のような感じだったのです。
さらに少し時間が経ってから、模型製作の会社でバイトてした時に社長がやたらこの映画のセリフらしきものを言っていて、意味が分からずに凄く嫌だった。多分、僕らがアニメを好きだから喜ぶと思ってやっていたのかもしれない。ところが僕はアニメ的な話し方やしぐさがすごく嫌いで、さらにそれを現実の生活の中に活用するなんてのはもっともっと嫌いで、そうしている人の顔面をバットで殴っていい権利を欲しいくらいに嫌いなんですよ。アニメの話し方やしぐさというのは、そのアニメのアニメーションたる動きの部分で様々な理由(主に予算)で表現しきれないことを補完しているに過ぎないわけで、その補完が極まったことが日本のアニメの独自性になったわけですよ。でもやっぱりわざとらしく不自然だし。
特にこの映画のセリフは夢の中に埋没して現実を拒否するようなものばかりなので、それを仕事中に言われるとほんと、腹立つんだよねw
特に目の前の仕事や経営状態が健全でないときに、夢に逃避する状況を描いている映画のセリフを喜々として言われてもなw
映像上で気になったのは、口の動きとセリフがあっていないことが多くて違和感があった。物語としてすごくニュアンスのある演技のセリフなのに口の動きが強く言い放つような形だったり、口が閉じて終わったほうが気持ちよくカットなりシーンが見れるのになんだか収まりが悪くてもじもじした気分になる。2016年12月の最近のアニメでもそんなのはあるんだけど、気分悪くてもやっとする。
全体の人のアニメーションとしての動きも思ったよりゆっくりでじんわり動いている。フルアニメーション的なぬるぬるした動きという意味ではなく、全体にスローなのだ。カットごとはきびきびと切り替わるので、時間が経てば慣れるんだけど、アニメってこういうものだったんだなと改めて感じた。アニメの作法を知って馴染まないとこれは拒否されても仕方がないなあ。この映画に限ったことじゃないが。当時は絵が格好良く動いているだけで満足していたのでそこまで考えて見ていなかった。徐々にアニメ鑑賞から遠ざかると、アニメの作法がこんなにわざとらしくて鼻についちゃうものなんだと驚いた。そここそがアニメーションではないアニメらしさで見るべきところだろうが、結果的にでも先鋭化や様式化されると辛いなあ。
今は攻殻機動隊やイノセンスで同じようなテーマやアップデートされたビジュアルを見ることが出来るので、よっぽど興味が出て知りたければ別だが、カジュアルに押井守作品を知りたいならあえて見ることもないと思う。
読み解く部分が多い映画なのに当時のアニメファンはまるで登場キャラクターと同じようにその内容に埋没してセリフを言い合い、ただ喜んでいる状況もあったのだ。で、最初に戻ります。