劇場 監督/行定勲 2020年 日本
結論を先に言え、言いたいことはA4一枚にまとめろ。という厳しいことを言う人に向けるならば、お前もやれよですが、これに倣うと、
名古屋ならばシネマスコーレでよく上映されているような(「ような」が大切)恋愛映画を高級フレンチのシェフが高級食材を使って作り、今ならテイクアウトで作りたてがいただける。というもの。
これが本当にシネマスコーレだけで公開していて、僕が高校生なら見に行くかもしれない。もう一つ条件があって、まだ映画を見ることを趣味にして間がないことだ。
で、見てどうだったのかは書かない。いや、書くか。アマゾンプライムで見まして、この映画を素晴らしい映画なんだ!きちんと読み解かなくては!と必死こいて何度も見ました。三回くらいで良かったかな。先に書いたようにこれは大衆料理を高級シェフと食材で作り上げたのだ。高級料理でも大衆料理でもないのだ。踏み込んで考えると料理にしても映画にしてもただそれだけを評価するのは評論する人の仕事だろう。(いや、評論だって時代を気にするよね。)視聴者としては自分の置かれた状況や心情など付加されるだろう。その付加を持つには作ってる人全員が上手すぎる、技術に走りすぎているなんてことはないし、出来すぎているのだ。この映画のジャンルやテーマならば情熱に劣る経験値と技工でないと作り手の思いは共有出来ないのではないか?と思いました。
続き、これは小さな世界で起きた負ける人生の映画なんだけど、こういうのはいわゆる単館映画館に多いというのは書いた。そして商業映画の監督がメジャーな役者とともに作るだけでもそれなりにテーマになる部分があると思う。しかし、北野武さんがアート系暴力映画しか作れないような揶揄のされ方をしたから、お前らの好きなカツ丼(娯楽映画)だって作れるよ(極端な言い方ですが)と座頭市を作ったような(座頭市自体はこれ以外の様々な事情があるようです)腹のくくり方はあまり感じられませんでした。とにかく上手に作ってあるのです。みんな上手。年取ってるのに青春の挫折を描く物語を見る僕が失敗。それはつまらなく見えるよ。