漫才みたいな会話が漫才ではないのはボケと突っ込みの次に受けを意識していないから。突っ込みと受けのタイミングが同じになっている。ボケて突っ込んで、お客さんに受けてもらわなくてはならない。
お客さんは突っ込みではないし、ボケで笑ってもらっていては突っ込みが無用になる。突っ込んだ後で笑いにならなければならない。THE MANZAIの頃の漫才で突っ込みが消失するコンビが多くなったのは突っ込むスピードがぼけに追いつかなくなったからではないか。
それなら別に突っ込みなど気にしなければいいなんてことはなくて、漫才以外の会話のやり取りを見せる場合など、お客さんは会話を見ているのであって参加していないので、受けるチャンスを必ず用意しないといけない。いけないんですよ。かといって単純に会話の後を開けるだけだと間がだらしなくなるので、受けるチャンスまでのタイミングをお客さんが会話に参加しているように錯覚するタイミングにしたいし、そうしないと自然に会話を見ることが難しいです。
つまり、単にTV番組やYoutube番組を視聴者が適当に聞き流すことが出来るようにするためにボケ、突っ込み、受けまでのタイミングを調整しないといけないのです。
お客さんに一生懸命見聞きしてもらうためではないのです。ただ流し見するためだけに神経とがらせて作るんですよ。
そのうえで椅子から背中を話して見聞きしてもらえるんですよ。
ホワイトボードに専用マーカー。