大魔神は三作まとめて。物語の骨格が全て同じだからだ。
大魔神(1966年 日本/安田公義)
主に悪代官(本当は代官じゃないが、土地を納めている人という意味)によって虐げられる民衆の願いを、どういうわけか毎回鎮座している巨大な石像が動き出し、悪代官を粛清する。魔人にお願いする人がほぼ死ぬのは、後の必殺シリーズでも採用されている。
一作目は武士の抗争に民衆が巻き込まれるような流れになっている。
特撮ものよりも時代劇としてよく出来ているんじゃないかと思った。特撮も当時としては見事で合成の違和感が少ない。
大魔神怒る(1966年 日本/三隅研次)
座頭市でもおなじみの三隅さんの監督。
パターンとして大魔神の出現と消える方法があり、前回は風、今回は水で、湖を割って出現し、水になって消える。出現は十戒をモチーフにしている。
やはり時代劇としてきちんと作られていると思った。二作目にしてマンネリが見えるが、気分のいいマンネリで見やすいと思った。むしろ時代劇とはマンネリのコントロールじゃないかと思うくらい。
大魔神逆襲(1966年 日本/森一生)
これまでも子どもが比較的中心にいたが、今回は子どもが主人公だ。映画自体がきちんと作られている中で子役の演技が下手くそでもったいない。魔人は雪になって消える。特撮は毎回苦心の跡が見える。
子どもだけで移動中に一人死ぬ場面が、今だとあまりなさそうだ。だけど、子どもだけで移動中に怪我をしたり死んだりするのは無くも無いので、大人は子どもだけで行動することを心配しているのだ。