地元オタク会談を開催。

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この前久しぶりに地元オタク会談を開催しました。

見ているだけでなく、既に自分たちが作ってしまっているのにまだダンバインとかエルガイムとか延々話すのです。(所謂アニメは作っていないが、お互い何某か作る仕事をしている。)今だから話せる実はガンダムをまともに見ていないとか、ガンダムのここが苦手だったとか、個別のロボットのデザインでなく、デザイナーの方法論について、作り手になって分かる良くない部分など、当時できなかった考察ができて有意義な部分があった、が、偶然発掘された僕が中二の頃に描いた絵を持ち出されて何かあると二の句が継げないようにされる反則技を使われて困りました。

困っただけではもったいないので話を聞いてみると、どうやらこの頃に今やっていることの基本のようなことはすでにできていたらしい。絵はどうしようもなく下手だし、誰かの真似でしかないけど、ホワイトスペースを気にする絵の作り方は誰かに教えてもらうわけでなく自分たちで考えてもいなかったが、お互いに描いて見せ合ううちに自然にやっていたらしい。もしくはアクションの密度を上げることより緩急をつけることを気にしていたり。

つまりは、今描いていることは本当に誰にも教わっておらず、自分たちで見い出したらしい。らしい。のは自覚がないから。

これは凄いぞと誇ることでもなくて、江戸時代に町人が遊びの一つとして数学をやっていたようなもので、ジャンルは違えどどこにでもあることなのですよ。たまたまそれを自分たちもやっていただけです。

なにせ本人が当時の絵を見ても単に恥ずかしいだけで何も覚えていなかったので、これに意味があるか?と問われるとどっちでもいいと思いました。

(門前の小僧が習わぬ経を読むみたいなことは結果でしかないので、最初から望んでやることじゃないんだよね。)

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