仁義なき日本沈没―東宝VS.東映の戦後サバイバル
春日 太一/著
新潮社 (2012/03)
東映と東宝という会社に焦点を絞って日本映画の衰勢を書いた本。あくまでも映画会社の話であり、映画の技術や物語のテーマなどについて書かれたものではない。amazonなどのブックレビューで書かれているように、著者がルポルタージュ的であるのにリアルタイムで見ていないことがどうしてもハンデになっている。これは著者のテーマに関わることなので分かって書かれていると思う。ゆえに俯瞰して見ることもできるし、書ける冷静さもあると思う。でも自分で現場へ行って取材したことと資料で取材したことの温度差が強いんだよね。現場を見てることはすごい熱量あるし、変な話し感動もある。まだ、戦後の映画の最初を知る方々が存命ではあるが、恐竜を研究するような感覚だろうか?そうでなくて例えるなら考古学でいいよね、考古学的にテーマを見つめているような感覚だろうか。
日本映画における「昔はよかった」とは1973年の『仁義なき戦い』と『日本沈没』を境にしている。というのがこの本のモチーフなんだが、それはほぼ最終章にしか書かれていない。そこに至るまでを東映創世記のころから時系列で書いているからだ。そりゃ枚数いるよ。おかげで満州引き上げの人々が東映を作ったという意味も理解できる部分があり良かった。また、東宝が落ち目の時、当然のようにゴジラシリーズも落ち目であり、その時の予算も人気もないゴジラを作らなければならない辛さは涙を誘う。何も知らずにゴジラの息子とかダセェって言ってごめんなさいだ。
おかげで、その後があっさりしている。たぶん、その後は皆さんご存知の通りという意味かと思う。ここも自分の体感して知ったもの(現在と未来)と資料から得た情報(過去の歴史的部分)との温度差が感じられてしまう。新書なのでほぼ読み捨てられる感覚ではあるが、何十年後かは今も過去であり歴史になるので、今もかつてあったことと同じような熱量でモチーフとしてほしいと思った。
個人的な仁義なき戦いと日本沈没の感想は、前者は社会の底と市井の人々のあさましくも生きる力を、後者は金持ちとその息子の発想で物語が作れているなと感想しました。物語の視点としては僕は仁義なき戦いがこれから(今ですね)で、日本沈没がかつてのものではないかなと思いますね。日本沈没は結局、大きな天災のなかで人々が何もできずに右往左往するだけを時系列で追ってるだけなので、作品世界の範囲が狭く、動機が悪いことであっても、自ら能動的に動く人たちが登場する仁義なき戦いには見た目で負ける。
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