愚痴を回避したら言い訳がましくなった。

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1)リーダーが子分の仕事を奪い取って悦に入っている。リーダーはリーダーの仕事をやらずに何も出来なくなった子分を叩く。

2)苦しい立場の子分。状況は暗くなるばかり、そこに超法規的な第三者が登場。自体は一変し、リーダーが排除され、暗い状況は好転したかに見えた。

3)超法規的な第三者はリーダーを排除したが、それ以上の事は何もせず、その場を立ち去った。そして子分だけが残り、何も出来ない子分は高木ブーになるしかなかった。

という流れが序破急。物語を作る上で最初に知ったのが起承転結だったが、映像や音楽を作ることを想定すると奇数で分割する序破急のほうが応用が効きやすいと思う。特に映画は序破急で考えると作るだけでなく、見るときも分かりやすい。

カエサルの“来た、見た、勝った”が更に単純で分かりやすい。

このように元々つまらない愚痴の様な話でもその話をどのような視点から見るかで、愚痴ではなくすることが出来る。
物語を見る読む場合、キャラクターに感情移入してみるというのがある。それが出来るのはキャラクター主導の話だけで、群像劇やSFのようなシチュエーションを楽しむような場合は当てはまらない。

泣かせる感動巨編的なもので、字面通りに泣いてしまっては物語りは一度しか楽しめない。作ってる奴がどこで泣かせようとしているか、何が感動を起こさせるのか探っていくと何度も楽しめそうだが、作ってる奴の感動させたいからくりも知れるのでムカつくこと請け合いだ。

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アメリカで暗い映画が多くなったのはベトナム戦争が転機だと思うが、だからってベトナム戦争の映画を見たらいいとかは違うよ。映画だけでなく、音楽も転機になっている。

日本の映画がいつからからしょんぼりして行ったのは政府の援助がなくなったから。TVだけが影響じゃなかった模様。

アメリカが映画で市井の人が果たせない夢ばかり描いていた頃から現実的な話が多くなっていたのはベトナム戦争以外にも純粋にメディアとしての映画の発展もあると思う。スポーツでもそのジャンルが成熟してくると複雑化してくる。

殆どの何か、映画でも音楽でも小説でも漫画でもゲームでもサッカー、野球、モータースポーツ、戦闘、戦争、など、そのジャンルの初期は何もかもが単純でスターやヒーローだけが活躍する。たった一人の力量で解決することも多い。

そのスターやヒーローに憧れたり、興行として儲かるとなれば、大挙参入してくる。初期の頃は試行錯誤でそのジャンルについて知る人すらいないわけで、それでも年月が経てばそのジャンルを理解する人たちも増える。スターやヒーローでなくても同等の能力や技術を持つ人も増えてくる。

能力のある人が増えてきて、これまでの様な単純に個人の能力だけで作り上げることや戦うことに無理が出てくると、組織をもって解決することになる。こうして物事が複雑化してくる。

また、映画においてはあらかた物語の構造が出尽くしており、またそれを研究しているので、新規の物語の構造が登場することはほぼ無いのではないかと思う。 急に「思う」かよ。

さらに初期のアメリカ映画の様な金持ちの夢物語のようなものは物語を作り表現するには、作りとすると薄いと思ってしまう。受け手としてはちやほやされる主人公に感情移入したいが、作るなら演じるならば、人の心のひだを表現したいと思う。

結果として徐々に夢の様なちやほやは無くなり、暗い話や地味な話が多くなる。またこのようなテーマやシチュエーションは矛盾した言い方だが、複雑なドラマを作りやすい。

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宇宙冒険ものが極端に少なくなったのはアメリカの国策が変わったから。宇宙ものが多かったのはアメリカがソ連と宇宙開発競争をしていたので、国民を宇宙というテーマに向かわせたかったから。で、宇宙開発競争になってたのは戦争の代替。

てなことで、そのソ連との宇宙開発競争も月に着陸したことで終りを告げる。なにせアメリカは本当はやりたくなかった。お金かかるし。現実の宇宙開発「競争」が終わったので、宣伝も要らなくなったから宇宙冒険ものも必死になってやる必要無しで、なくなった。

とこうことで、これが全てではないけど、考察の一つとして。

 

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