目的を持って狛犬を撮りに行った。

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140422023320これまではただ漠然と狛犬を撮っていた。ひまつぶしではないが、全国の狛犬を網羅しようとか、狛犬について調べようとかそういったことは一切無い。とりあえず撮るという目的が欲しかっただけだ。だが今回は違う。

作りたい話があり、そのための取材だ。取材なんて構えたものではないが取材と言い切ってしまわないと、外向けに恰好付かないからな。調べ物するときに何に必要かとか、意図はとか聞かれると困るし。趣味でとか好きだからが理由では心を開いてくれることが少ないんだよ。


理由が好きで作ってるアニメだと、「アニメなんか作ってないで早く死ねばいいのに」である。まあそうだよね。僕は他人が好きで作っててもそういうものだと思うけど、行動に理由が無いと不安を覚える場合は社会に出て年をとれば仕方のないことだ。

それでなんだっけ? 今回はこれまでに行った神社で、思い付きを補強出来るような狛犬があるのを覚えておいたのでそこに行ってきたのだ。以前にも書いたけど、普段から何かに利用できるか考えながら場所、物、人、その所作などについて見ている。
今日撮って来た場所は結構近所だし、天候も曇り空で花粉など落ち着いていそうだったのもあった。春は僕にとってナウシカなみの腐海だ。出かけられるときに出かけよう。それが出来る状況ならば。

一箇所だけでなくもう一軒。神社に一軒という単位が合っているか知らないが、行って来た。

ここも近い。近所でまかなえるのはありがたいね。近所で発掘するようにしているからそうなっているんだが。

何が見たかったかと問うならば、銅で出来ていることだ。デザインもさることながら素材の質感が見たかった。
狛犬は主に石が素材になっているが、違うものもある。たしか金属だったか、農具を祀る神社の狛犬は木製だったと記憶している。

銅でできていると石のように風雨で劣化することも無いのでエッジがはっきりしている。緑青的なことは問題ないのかね?
石じゃないときは神社がでかい。なんとなく金持ち臭い。実際話に入れ込むには別の理由にするけどね。それと銅製は昭和時代に作られている。
鳥居も銅製。鳥居と言えば子どもの頃、鳥のような顔をした鳥井くんがいたが、どうしているだろうか。

子どもの頃からざまざまな意味で所謂優秀な人には興味が無かった。一定の記号の中で見切ることが出来るからだ。そこから外れたり、越えた人に興味を持った。子どもの頃は一般的に優れた状態を越える人は殆どいないので前者だ。鳥井くんも見た目に引きがあっただけでなく、物静かで子どもなのに哲学的だった。単に人見知りで口数が少なかっただけだろうが。

帰り道で神社を見つけたので寄って撮った。

ここはトラディショナルな石製だ。狛犬は時期、地域、造った人の手癖などで個体差があるが、そこにそれほどに意味は無いことがいくつか巡ってみてわかったので、あまり深読みしても自己満足でしかない。あえて言うなら作風は時代に流されている。

別件で使いたい自動販売機もあったので、たまに出かけると色々発見できるなと思った。自販機そのものじゃなくて、設置してある場所が解決しなかった事のヒントになった。まあもっと出かければ、もっと発見があるんだが。

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