東海3DCGクリエイターズ作品展で参加したOCTAORCAの映像は、の、その前に今回はイラスト二点と映像を出品することがそもそもの条件だったんですけど、こういう場合はイラストは連作で映像も連携したものにするものだと勝手に思い込んでおりまして、その方が考えるの楽だし。しかし開けてみるとそうでもなかったりして自分だけでした。まさに勝手な思い込みw 僕は何やっても30点程度の能力なんです。その30点をかき集めて70点くらいにする能力も30点ほどあるので、かき集めるしかなかろうと思ったのですねぇ。他の方は30点どころじゃないのでやらなくてよかったのです。辛いw
さて、その30点能力の一つ書体作成です。世間としてはフォント作成ですね。フォントと書体はニュアンスとしてちょっと違うのですが、おっさんの言うカレーライスとライスカレーの違い程度ですので同じと捉えて問題ないでしょう。ずっと前にも書いてますがOCTA ORCAで使っている書体の中国語以外の文字は自作しています。何でかというとフォントを作るのが好きだからです。もう一つ、手前の作品をどこまで自作できるかもやってみたいことだからです。複数のメディアやマテリアルを使った作品は全部自分で作っていくことはまれです。特に映像、映画は一人で作ったと言いながらキャストはいますし、照明とかメイクとか、スタントとかVFXとか、助監とかなにより制作進行とか、全部やったとしても、あれ?音楽は?とかSEはその辺からありものを使ってたり。そういうのをできるだけ減らせないかと思ったのです。それもなんだか屑みたいな頓智で言い訳するのでなくて真正面からバカみたいにまじめに作りたい。ここをまじめにやらないと内容や作りでふざけられないからね。
今回はイラストと映像以外に余分にスケッチブックと称したものも展示しました。イラストと映像のメイキングと作品世界の解説などです。こちらにもA版の比率のイラストを数点載せているので、これをA1でプリントするとイラストの展示が持った増えたんだよね。まぁ、名古屋からどんどん離れたものになるのでテーマからずれたものばかり並ぶことになっちゃうか。これは全然別の映像作家の方が展覧会をやるにあたって映像に使った素材やスケッチをスクラップブックに貼って展示したいような話をネットで読んだので真似したいと思ったのですよ。もう全部まねですよ。どこか真似。引用。
スケッチブックを作るのに使った材料はダイソーで売ってたクラフト紙の表紙のこれと
紙はやや集めの上質紙。クラフト紙の2穴ファイルは表紙に絵を描きやすいと思ったから。思った通りに描きやすかったです。馴染み過ぎて誰も何も言ってくれませんでしたけど。
それはともかくイラスト10点、映像3本それも数秒から数分の尺。いくらイラストがA1で大判でも整然と並んでしまうと一覧できてしまうのです。一つの壁に四枚か二枚。これだと四枚じゃなくて一枚にカウントされちゃう。細かく見るには一枚なんだけど、ぱっと見終わってしまうのです。映像も「このリグどうやって組んだんですか?」「エフェクトの設定はどうやってますか?」「レンダリングは何を使っていますか?」というテクニカルな話は一般的にはしないし、そこから物語として読めるものがないとやっぱりすっと見終わってしまう。「もう無いの?」と言われたら作家の敗北です。今回はその「もう無いの?」でした。誰も言わなかったけど。もう単純に疲れちゃってたからね。そういういうのも全部展示物に出ちゃってる。そういうのが作品というもの。そんでだ、スケッチブックで使っているフォントは自作できていない。主に制作期間と作成ツール(アプリケーション)の問題だ。その代わりフォントセットを作りました。フォントセットは何か。漢字かな英数などにそれぞれフォントを指定する設定のことです。adobe IllustratorやInDesignなどで出来ます。かなり昔から搭載されている機能なのです。
長いことチラシや新聞広告などを作っていまして、今でも依頼があればやりますが、一つの文で書体が変わることは珍しいことでなく、それをやることが仕事でもあるわけで、長文だと面倒なのでやらないだけです。じゃぁ、面倒なことをやってみよう!ってことです。実は面倒なことはずっとやってまして、普段から文中の英数を1バイトに変えている。記号は状況に応じてで、出来るだけ書体が変わったことが分からないように見た目が似ているフォントを選んでいる。これは写植を指定してた頃からやっている。今回違うのは漢字とかなを違うフォント、英数記号はかなに指定したフォントと見た目が近いものを選んでいます。簡単に言うと明朝体に漢字だけゴシックにしてるだけです。漢字の部分は名詞が多いので漢字だけ拾い読みすれば速く黙読しやすい、はずなんですが、物凄く読みづらいという人もいました。何故かは分かりませんが、文字を文字情報(テキスト)として見るか絵(画像)として見るかの違いか、どうか不明なまま。もしかしたら中国語に親しんでいると漢字であっても発音を重視というか発音が複雑なので文字が発音のための記号になっている部分が大きく、一々書体が違うと発音しずらい、黙読しずらいのではないかと思います。母国語以外に慣れ親しんだ言葉があると違和感があるかもしれません。一つの画面の中に縦組みと横組みが混在しているとダメな人もいるので、気分の問題かもしれないし。気分だと個人的感想でしかないので対応のしようがないので、何もしませんが読みやすいとか可読率を上げるのは、整然と並べればよいわけではありません。一定の法則で書体を変えて引っ掛かりをつけて敢えて読みづらさが読解するという読みやすさを誘うはずなのです。はずと言っているのはそうではない人がいるからです。アイデアのはずが今となっては個人の感想ですねぇ。自分だけで考えたのではなく、アメリカだったかのエディトリアルデザイナーのインタビューで長めのヘッドコピーを大文字小文字をhigh and lowだったらhIGh auD LOwのように組んだことがあるというのを読んだこともヒントにしています。ネットだと所謂ハッカーがやってますね。これを読みづらいけど読めるように指定します。HIgh anD LoWとかね。漢字かな交じりだとやりやすいのです。
このように長く難しそうに書いている割には出来上がりは明朝体に漢字だけゴシックにするのは、太さ(ウエイト)が太いだけで漫画と同じフォントセットです。
しょんぼりだよw!
てなことで、3DCGの展覧会だったけど、作品として成立させるには3DCG以外の部分も同じような力の入れ方しないとバランス悪いよという話です。