数年前にUSTREAMを使って番組めいたものを作っていました。誰が?俺が。
辞めた話は以前に書いたので今回は作ってた話だ。
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ただ作って何も残らず無駄だったとか単なる思い出では精神的に辛いので、やろうとしたことの心意気くらいは記録したい。それがこれだ。
とりとめもなく書いたので全くまとまりに欠けるが、読まれる方は適当に端折って読んでもらえたらと思います。
有志が集まって手弁当でちまちま作業してまして、個人としてはノウハウの蓄積のつもりでやっていたんですね。だからといって内容はどうでもいいとか、何でもいいと思っていなくて、内容も含めて楽しく作れることもノウハウです。ゲストも誰でもいいから知り合いに出てもらったわけでもありません。僕もたまに顔出ししてましたけど、カメラに映りたかったからじゃないです。これは辞める話のときに書いたね。
表面上は単に「ユーストしてぇ!」のような短絡的な表現しかしてませんでしたけど、作るならテーマは常に持つようにしているので当然「ユーストしてぇ!」だけじゃないです。
ラジオ番組を映像で補完するようにしたい。せめてAMやFMのラジオ番組がやっていることは全部出来るようにしたい。この二点です。USTREMで定点観測するなら一々こんなことを考える必要はなく、多少なりともネットの映像生中継で作る番組めいたものの一定の回答なり出来たらいいんじゃないかと思ったのですよ。この企画を発想した瞬間ね。
ゲストの人選は気を使ってたけど地元の情報発信的なことは全く考えていませんでした。むしろ足枷でしかなかった。でも自前のリソースを駆使して作りたかったので、全然面識の無い人を視聴者数が稼げるという、どうしようもない理由で依頼することは考えていなかったし、やりたくなかった。
あ、何だったっけ? そうそう、ノウハウだ。ノウハウってカタカナで書くと変な文字の並びだよねぇ。
他所でもUST番組はたくさんあって、それらの殆どはMCの目の前に音声や映像のミキサー、ノートパソコンが満載でマイクもスタンドに立てて、所謂裏方が丸出しでした。これがダサい。かっこ悪い。逐一技術と機材の自慢をしているようで頭悪い。また反対に出来ない人たちに見えるようでした。これを止めたかった。パソコンも当時でもTV番組でも持ち込まれることもあるので違和感は無いかもしれないが、内容に無関係の機械がMCの目の前にあるのが気になった。
MCとカメラの間に機械があるのは作り手と受けての間に壁を作っていることになるので、積極的に取り除きたかった。またノートパソコンを置いているのも同様で液晶モニター部分が立っていることで物理的にも壁になっている。アップルマークが見えてて嬉しいとか言ってるのは本当に勘弁して欲しい。ノートパソコンでダメなのはもう一つあって、MCにしか見えていなくて、MCがその情報を番組中にかなりの頻度で集中して見てしまう事だ。
視聴者にとってはフレーム内のことが全てだけど、スタジオでは当然のようにフレーム外にもあれこれ情報がある。でも視聴者には見えないのに番組中にMCだけ見えているだけでなく、見えていることを視聴者に認識させてしまうのは凄くかっこ悪いと思った。所詮田舎のおっさんが手作りしている番組なのに恰好を気にする時点でどうしようもないが、それでも出来る範囲で恰好良い番組作りをしたかった。これはお金が無くても出来ることだ。
お金が無い。
これも今回のキーワードだ。高い道具はお金があれば買える。ゲストだってお金を払えばある程度は誰だってオファーできる。でも自分できちんと考えて工夫することはお金があったら出来ることじゃないし、そもそもお金の問題じゃない。田舎のおっさんとはいえ、おっさんになるまでの期間に多少なりとも蓄積した経験値がある。それを活かして何とかならないか?と思ったんです。まぁ、関係者にはあまり伝わらなかったみたいで、お金が無いことの慰めにしかならかなったみたい。
んで、ミキサーなどの機械は何とかしてMCの前からとっぱらった。どこへ行ったかと問うならば、俺の目の前だ。俺とは僕であり、僕はカメラを操作していたのだ。そしてカメラとマイクのミキサーも操作までは行かずともモニターしていたのだ。
僕は映像はともかく、音声の調整は門外漢なのでリハーサルの時点で音声のチェックと同時にミキサーなどのオペレーションもあらかじめ設定していたのだ。だから音声に関しては配信中に完全にフォローできてはいなかった。
前後してしまうがレギュラーのMCは一人、スタッフも一人の計二人であった。
当時USTはワンマンオペレーションでやっていることを自慢している方々もいたが、滅茶苦茶な話だ。恥ずかしくはあっても自慢できることじゃない。ローバジェットで担当を兼務しているのは能力があるからではなく、金が無いからだ。もちろん能力もそんなにあるわけではない。
その恥ずかしい状態で如何にも本職がごとくきちんと作っているかのように見せかけていたのだった。
当時ゲストで来た方にちくちく指摘されたが、カメラがそんなに動いていないのはスタジオが狭いから、オペレーションできる人員不足、何せ一人でカメラとマイクのミキサー、三台のカメラの操作をしていたからな。その上、ツイートをチェックし、(これは数が少なかったのが寂しいが助かった。)番組中で補足や突込みでたまにオフ(フレームの外から)で喋っていたのだ。
悔しいので言わせて貰うと、ちくちく指摘してた人が描いた絵を紹介するためにスタジオ内に配置してたが、ライトの反射で何度も描き直した跡が丸出しになるのを必死で反射しないように角度を調整したのも僕の作業だ。なにせ偉い画家先生だからな。偉い人が偉そうに話した後で本業が必死すぎるのがばれるとかっこ悪いんでね。
かっこ悪いのは画家先生ではなく、偉いと云う体で画家先生をゲストに呼んだ僕らの方だ。偉いという体なので少なくても番組が終わるまでは偉い画家先生でいてもらわなければならないのだ。
ついでに書いてしまうと僕一人で番組の構成、タイトルロゴ、タイトルアニメーション(尺は短いが音も作った)なんか知らんがテーブルに置いていた番組タイトル看板も作っていた。全部じゃないがゲストのブッキングもしていた。
きちんと作っているかのように見せるといえば、フレーム内に余分な物を入れないこともそうだ。
常設のテレビスタジオではない、みなしスタジオだったので、スタジオじゃないときに置いていあるものが片付けてもまだ残っていることがあったり、ゲストの荷物などもあったのでそれらは見せないように必死で隠していた。どうしても見える場合は無理に隠さずにあえて全部見えるようにした。ちらちら見えているものが常にフレームの端にあると気になると思ったので、例えばおてもやんの被り物があったならば、あえて全部入れて、無関係だけど番組中の会話で無理に「あそこでおてもやんも見てますけどね」とか「なんでおてもやんやねん」とか適当に振っておてもやんの被り物の存在を肯定できるようにするのです。この部分は出来ていなかったけど、要らないものは完全に隠すかあえて入れることはまずまず徹底できたと思う。
隠すといえばマイクも隠した。
イベントなどの音響を業務にしている人の事務所で配信していたので音響関連の機材に関しては後ろ向きな工夫は無かったので、ピンマイク……とはならず、それでも一人ずつマイクを用意できた。音響関連に明るくないので形以外は忘れてしまったが床に置くタイプで演劇などの収録をするときに使うようなものだ(バウンダリマイク)。それをテープルに置いた。置いただけではマイク丸出しなので、隠さなくてはならない。隠す方法として先に書いた、なんか知らんがテーブルに置いていた番組タイトル看板を作ったのだ。
この看板はマイク隠し以外に元々はAMやFMラジオ番組などで公開録音あるいは公開生中継などで番組のプロモーションとして使われる手法だ。全然新しくなく、むしろ常識だ。
当時のUST番組をやっている人たちはグラフィックデザインが出来る人がいなかったのかそういう部分に手を入れることを全くしていなかったので、なぜやらないか不思議だった。
また、そういうややマスメディア的な作り物に対して馬鹿にしたり悪口を言っている感じがしたのも気になった。マスが嫌いかもしれないが、それを専門として業務で関わっている人の仕事は学ぶところが多いと思うんだけど。
それで、マイクは隠すが隠すものに番組に関する内容を盛り込めば隠しているが隠していることにならなくなるのであった。
パソコンでツイートを見たいという希望に関してはスタジオセットとしてTVを置くことで解決した。ここに各種情報を出すことでスタジオの寂しさを紛らわしたり、変化を付けることができないかなと思ったのだ。このTVへ情報を出す操作は僕が遠隔でしてもよかったがそれでは番組の流れを止めてしまうこともあるので、MCが喋りのタイミングを見つけて操作できるようにFlashで仕組みを作り、MCの手元のマウスやキーボードでオペレーションして貰った。このFlashの作り物を僕が自作した。あまり自分で作ったことをことさら言いたくは無いが、担当が分かりづらいのであえて書いています。
ゲストに写真を持ってきて貰い、それを表示したりもしていた。ここにも問題があって、ゲストから写真を貰うタイミングだ。事前に貰うことが出来れば先に仕込めるが生配信当日に貰うと仕込みようがないので当日写真を貰っても問題ないように仕組みを作った。
この辺りは昔にFlashを使ってイベントの映像送出(VJみたいなもの)を何度かやったことが応用できた。この仕組みはいろんなイベントで使って欲しいと思うんだけど、地方のイベントでは映像を使った仕組みすら難しいので、無いっすねー。
TVを使った仕組みはそれほど番組中で活用は出来なかった。それは写真が思ったより集まらなかったり、一つの写真で割りと話せてしまったりしたからだ。写真を使ったネタ番組じゃなく、ゲストにたくさん話して貰うことが第一なのでそういうものかなと。
このTV。反省点は枠(額縁)を作るときにディレクションを僕がしなかったことだ。TVには真っ黒い枠が付いている。大抵のTVはそうだ。しかし、この枠がやたら主張してしまってせっかく機械をフレーム外へ追いやっているのにセンターで鎮座されては意味が無い。ということでこの黒い枠の上から別の枠を自作して張り付けたのだ。しかし残念な状態だった。僕があまり強く言えなかった為に大変細かい花柄の枠がくっついてしまったのだ。花柄は番組と無関係だし、細かい柄は自分たちがUSTを低解像度でしか配信できなかったのでノイズのようになってしまうのだ。そうでなくても意味の無い細かい柄は避けたほうがいい。
TVは番組のシリーズ途中から登場したが、僕はこの花柄模様と対峙しながらカメラなどを操作しなくてはならなくなった。
あとなんすかねー、あ、オープニングタイトルか。
オープニングも軽くあると番組の体をなしているように見えるので作った。また準備中や番組がお開きになった後の静止画で「また見てね」のお知らせ画像もつくった。オープニングはとにかくあれば何でも良かったけど、楽しそうに見えることは念頭においていた。しかし、番組開始前の準備中に流れていた曲がびっくりするくらい古臭い曲調かつ歌声だったのは少し経ってから気がついた。作った人が番組MCだったのでこれも言うに言えず。おじいちゃんの懐メロ番組を作ってた覚えはないです。今回ばかりは自分できちんと作詞作曲できないことが悔しかった。
オープニングのアニメーションはちまちま手描きしました。キーフレーム打ってるとこもかなりあるので全部フレームバイフレームで一コマずつ描いてはいないけどね。
それからなんだっけ?時間経つと忘れてくね。やっぱりきちんとメモしたりその場で書いて公開していかないとダメだな。
ゲストの依頼について。
ゲストはMCと僕がそれぞれ出演して貰ったら番組としてよさそうな人を選んでオファーしていた。普通は番組のバリューをゲストに利用して貰うだろうが、今回は番組のバリューが低いのでゲストのバリューを利用するのだった。どういうことかと問うならば、こんなゲストが登場する番組って素敵!素晴らしい!となるようにしたのだ。とはいえ、僕らに出来る範囲があるのでそれは努力目標で、せめてゲストの方々には、番組をつかってたくさん宣伝してねと依頼するときにお願いしていた。とりあえず僕がオファーする場合はね。番組が地元を紹介することがテーマだったので人選に苦労したが、とりあえず何かが地元に引っかかっていれば良いことにして、例えば嫁が地元の生まれとか。お願いしていた。自分の知り合いの範囲でオファーした結果、比較的作り手が多く登場したので地元紹介以上に文化っぽい雰囲気になっていった。
ゲストをオファーするときに気にしていたのはそれなりに話せること。アナウンサーや芸人のように出来る必要は無くて、聞かれたことしか答えないとか、番組に対して何も興味を持ってくれないのではどうしようもないし、それなりに番組の体で話せる方々を選んだつもりだ。
僕がオフでフレーム外から話すのは、最初に前提を作ればのちにオフから話しても、見ている人に安心と納得をさせられるギミックで、そのほかにも間違えたときや作業がもたついたときなどに、今何をしているか説明してしまうことで間違いやもたつきをあえて仕込みでやっているかのように見せるなどもしていた。全く持って単なるごまかしだし言い訳だけど、トラブルが発生したときの回避方法としてとっさに判断できるようにしたかった。
あ、思い出しだ。進行だ。
番組の構成は単純なつくりにしていたので、初めて数回で適当に作って紙で渡していた。そのうちロケ素材を流したりイレギュラーも発生していたので、毎回口頭で説明していた。タイムキーパーも番組進行もいないので、MCがタイミング作るか、僕が外から強制的にコーナーを切っていた。この外から強制的に喋って仕切るためにも番組冒頭で顔出しして、フレームの外から話すエクスキューズを作っていたのだ。ということで、進行と構成はその場のアドリブで作っていたのであった。時間もきちんと決めていなかったからね。大体60分か90分だった。
あとなんすかねー、配信のビットレートとかカメラとかミキサーの話はそのときによってかなり変動があるから一々チェックしても意味無いかな。すぐUSTするためなら必要だろうけど、今後のためなら要らないねぇ。配信といえば、言葉の問題でつまらないことだけど、ついついMCも放送といってしまっていた。放送は許認可事業であって、僕らのやっていたのは配信なのでここはきちんと徹底したかった。
また思い出した、書いてると思い出すね、視聴者数のこと。
当時のUST、今もそうかもしれないがとにかく視聴者数を気にしていて気にするだけなら良いが一々「いまXX人ご覧になっています」と逐一話していた。これも一万人くらい見てるんだったら話は分からんでもないが、二十人とか二桁前半で推移している状態を一喜一憂しても間抜けなだけなので、視聴者数は公開しないようにしていた。ところがスタジオでは見えるのだな。で、見て言ってしまっていた。二十人の視聴者という数字だけ見て喜ぶ田舎のおっさん有志という見るも無残で恥ずかしい状態が今ここに!
こういう数が少ないときは人数じゃなくてその質を見るべきで、どこから見てくれているとか、番組を見ながらツイートしてくれている内容をきちんと理解と考察すべきだった。
えっと、たかが二十人の暇な奴らとか思っているんじゃないですよ。見てもらえれば何人でもありがたいです。ありがたいから数じゃなくて見てくれている方々そのものを気にかけるべきじゃないかと思ったのでした。
ゲストの記念写真を撮ってポラロイド写真風に加工して(これも僕の作業。以前に似たことを他でやっていたのを流用している。加工用の枠もそのときの素材だ)スタジオのセットとして使っていた。番組の蓄積が一覧できるし、スタジオのにぎやかしにもなり、とりたてて斬新なアイデアでもなんでもないけど、コツコツ作業が結果に反映しやすいので良いなと思っている。
文中でMCと言っているのはMCに許可を取らずに書いているのでこのように代名詞になっています。まぁMCなのでそれで問題なんですけどね。
思い出したので追記。
スタジオをサイズをフレーム内で感じさせないように工夫してた。実際スタジオは狭かった。しかし一々狭いといっていても仕方が無いし、反対に広いと言い張るのも違うので取り立てて言わないが見ていてスタジオの広さが気にならないようにしていた。
幸いにもMCとゲストの話している位置からカメラまではある程度空間が作れたので、その間に出来るだけ物を置かないようにしてカメラポジションを三台とも出来るだけ俯瞰になるように、しかし、膝から下は映さないようにした。メインのカメラの左右はぎりぎりまで広くなるように引きを調整してスタジオも引きの想定でばれそうなものは移動し、無理なものはセットとしてレイアウトした。サブの二台は基本的にMCとゲストをバストショット以上で押さえることにして、背景のバレを極力押さえるようにした。
最初に引きの絵を出来るだけ引いて見せれば、その後バストショットが比較的多めに続いても引きの絵で錯覚する。
引きの絵も真正面から撮るのではなくて少し煽るか俯瞰で撮って床や天井に近い部分を見せると広く見える。
このときに偉そうに見せたければ煽りを多めに、そうでなければ俯瞰で。今回の場合は俯瞰のほうがいいね。そして俯瞰だと情報量が増やせるので画面もリッチにしやすい。情報量が多いと見ているほうも安心するし。
逆の煽りだと情報量が少なくなる代わりに重厚感が出る。大きくも見えるね。この二つで偉そうに見えるのだ。しかし、情報量が減るので見ている人は不安になる。不安は恐怖にもなるのでこれも偉そうに見える要素かな。
と言うことを気にしながら作っていた。
こんなもんかなー? また思い出したら書くよ。