軽い運動と少し考えるのに歩く。ついでに写真も撮る。
考えるのは、どうにもならないことばかりで結末は気が滅入るだけなんだけど、それでも考えたい。僕は気楽に都合良く賢くはなれなかった。
ずっとかっこいいと思っていた狛犬。
毎回、カメラは寄って撮る的に強めに言う人をディスってますが、このように自分の背より高い位置のものをせっしゅなど無しで水平に撮ろうと思うと、引いて望遠でズームすることになります。とりあえず僕はこれしか思いつきませんでした。しかし今回は望遠レンズを持っていかなかったので、出来るだけ大きく撮りたいと寄るのですね。そうするとこのようにあおってしまう。あおったっていいじゃないというかも知れませんが、僕は水平に撮りたいんですよ。ということで、写真講座的なものはカメラを持っている人が世の中心として撮影するならと言う立場が多いのであんまり聞きたくも読みたくも無いが、技術を知らないのでその面だけは見聞するようにしている。
自宅の紫陽花の模様。
嘘でもいいから霧吹きで水かけておくべきだった。からっとしていて紫陽花の感じがまるで無い。
赤いほうはこれ。
まだ咲いてくる花があるのでしばらく観察することにしたい。
近場の神社に鳥が住みついてしまい、なかなかな迷惑な状況。写真では分かりづらいですね。
木の下から見上げると所々丸く黒い部分が巣です。
その木の下へいってみたら、卵の殻と糞が散乱していました。
巣は家なので、その下がトイレになるのはなるほどね、ですが、孵化したあとは卵の殻がどうなるか気にしたことが無かったので、孵化した卵の殻が捨てられてこのように落ちているのは知りませんでした。
この写真を撮っている間も鳥は上空を飛び、ぎゃぁぎゃぁと鳴き、糞を落とすので気が気ではありません。社会問題を提議する立場でも関心もないので、鳥の巣があって、卵が孵化したあとの殻はこうなるよという事象を知りました。てなことで、21世紀になってもプルタブは時を経て存在し、
種類の違う雲が距離をあけて重なった事を観察し、(重なった際を注目したかった)
道路標識も興味があるので撮ったりして
帰宅した。道路標識もグラフィックとして興味があるだけで標識としての存在意義とか意味などは全然興味ないです。グラフィックとしての興味を深める為に知らなくてはならないときはありますがね。