何度目かではない、野火を見た。

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野火(2015年 日本 監督/塚本晋也)

太平洋戦争中に道に迷った日本兵たちの、腹が減ったのでどうしようという話。
カニバリズムが後半軸になってくるが、フィクションなのにリアリティが高すぎて羊たちの沈黙など他のカニバリズムを扱うものより気持ち悪さが強く出ている。この気持ち悪さは人肉を積極的に食べるカットそのものだけでなく、人肉を食べるという感覚まで醜く描いているからではないかと思った。レクター博士は快楽としてのカニバリズムだったのに、野火では飢餓の極限状態で選択する食べるものだからか。とにかく気持ち悪い。主演にリリーフランキーもいるのに全然楽しくないんだよ。先に情報仕入れていかないとリリーフランキーがどこに出てくるのか分からないくらい。目の前にめちゃくちゃ出てるのに確認しながらじゃないと分からない。もう凄く嫌な人になってる。このすばらしさ。

主人公の田村は特別優秀な兵士でもなく、むしろあんまり出来ない人で、出来ない人の部分が切ない。孤立したときに火を調達するのだが、自分で火を熾せないので近くの村までマッチを徴発しに行くのだが、そこで村人に見つかり結局射殺してしまう。その殆ど直後に別の部隊に出会い、そこでは自力で火を熾すことが出来、あっさり焚き火が出来てしまう。バイオレンスはまったくない静かなシーンだったが、僕はこの救われているのに絶望を感じる部分が良いなと思った。

戦闘シーンが始まると毎回カメラが手持ちでぶれぶれになるというのが辛かった。ぶれている絵が見づらいという意味でなく、戦闘きっかけでカメラがぶれるルーチンになってしまっていたからだ。臨場感はもちろんあるが、緩急とかバランスとかいるなと。プライベートライアンがその辺りのバランスが良くて改めて見ると、ハンディのぶれる按配が凄く良い。ぶれるのが自然で気にならない。野火はカメラも撮影班として戦闘に参加している感じで、プライベートライアンは謎の視点であるにもかかわらず、自然に見ている。実際、確保した予算でどう撮るかだとおもうんですけどね。見るほうが気にすることではないけど、野火のそれでも撮る意気込みも力強いとは思っています。でも毎回ぶれると戦闘だからぶれるのかぶれるから戦闘なのか、工夫できなかったものだろうか。

カニバリズムの中心になる永松がよかった。見た目もいわゆる日本兵の感じが凄くする、弱く意地汚く、ずるい。でもこの状況でそれを断罪できるのか、大変突きつける感覚が良かった。

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