大昔の漫画の一コマを一々何言ってんだかな話ですが、
サイボーグ009の「あとは勇気だけだ」のセリフの解釈が巷でよくあるものがどうにも納得いかないんだよな。あの場面の「勇気」はそんなに素晴らしいものじゃないと思うんだが。
アポロンの満漢全席のような能力を披露され、劣勢に立たされた中で、アポロンの能力の一つに過ぎない加速装置しか持たない009が苦し紛れに言ったに過ぎないんじゃないか。
巨人の星における「父ちゃんは日本一の日雇い人夫です!」だ。けっして自慢しているわけなない。そう言わなければやってられないのだ。仮に勇気が素晴らしい能力の一つであれば、アポロン戦で勇気が有効に使われるんじゃないかな。実際には勇気より優しさと劣った能力のために手が出なかった。アポロン戦の決着はアポロンの姉のヘレナが割って入り、ともに死亡する。勇気で勝っていないのです。全く手が出ないままなのです。
アポロンは金持ちの子ども。009は貧乏な自分と置き換えてみるといい。超能力は持ってるおもちゃだ。金持ちの子供はウルトラマンもベムラーもバルタン星人もゴモラもレッドキングもタッコングだって持っている。自分はベムラーだけだ。「君が持ってるのはベムラーだけかい?」と聞かれたらどうする?「僕がウルトラマンだ!」とかいうのは絶望的だよ。 しかも俺、金持ちの友達のねーちゃんが好きなんだよw
と、このように勇気が素晴らしい超能力であるよりも、きっつい言い訳であった方が物語は膨らむのだ。確かに勇気は素晴らしい。しかし、この場で言及しているのは物理的なサイボーグとしての超能力だ。そういう場で「勇気だけだ」と精神論を言わなければならない程に追い詰められた状況であるという描写じゃないかな。
もう一点、ミュートスサイボーグ戦以前から常に敵の能力が秀でていて四苦八苦してるのに、急に気持ちの話で勝つとか無いんじゃないかと思ったんだよ。敢えて言うなら009は物語を重ねるごとにキャラクター設定が作り込まれ、勇気よりも優しさが強調されていきます。直後の地底帝国ヨミ編では009がマインドコントロールされ、優しさが消えたことで厄介な相手になったことを004が指摘してます。 まだこのころの009は少年冒険談の色合いが強く、細やかな心の内面を描くのはずっと後じゃないかな。とかね。
例に出すならウルトラマンより仮面ライダーが原作者のつながりでよかったかと思ったが、怪人のキャラクターは怪獣に比べて引きが弱いんだよね。