岐阜空襲をちょっと調べた。

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岐阜空襲をちょっと調べた。
その前にこの空襲を体験した方の話もちょっとだけ聞いたことがある。この体験談に関しては話し手が長く話し続けることでこの話題に関して話すことが上手くなってしまい、かつ、多分なんだが同じことを話すのが退屈になった結果、オーバーアクションの感情を載せてしまっているので、フィクションのように感じてしまう。悲惨、可哀そうしか伝わらなく、何故岐阜空襲だけを切り取って話すのか、全く分からず、聞いたのその場の感想としては、つまらないお涙頂戴話として捉えてしまうと思いました。ごめん、ちっともよくないと思った。話すなら極端に感情を排して淡々と事象だけを話さないとな。感情を載せないと伝わらないっていうのは、そこに嘘があるんと違うかな。俺は体験したんだ!に関しては、本当に恐怖を味わった人はその恐怖を簡単に話せないものだよ。戦争を体験し、戦後を乗り越えて戦争を語らずに亡くなった重さを僕らは知るべきだと思いますね。まぁ、言わないと分からないとも言えますが。語る人だけが体験しているのではないし、体験したすべての人が可哀そうな人ではない。

で、岐阜空襲。単なる一地地方都市への空襲ですが、思いのほか被害が大きかったのは事実。かといってこの空襲が最大規模ではないし、特殊な事情、特別な作戦かというと、全く違います。繰り返しますが単なる一地方への空爆です。被害の理由は主に空襲への対応の不備です。空襲を受けてもそこに人がいなければ人的被害はありません。これを実行出来たのが大垣空襲です。
それなりに意味がある空襲なら隣の市の各務原空襲でしょうか。ここは軍需工場も基地もあります。空襲の回数も多く、焼夷弾以外の通常爆弾も使用や戦闘機による機銃掃射もあります。単純な人的被害の比較では岐阜空襲の方が大きいです。順番は各務原市のほうが先に被害を受けています。空襲の目的を把握していれば各務原市への空爆の被害を岐阜でも活かせたのです。
もう一つの隣の大垣市も空襲がありました。岐阜市同様の地方都市への空襲です。ここでは人的被害が極端に少ないのは岐阜空襲の体験が活きているからです。そのまま防空法を遵守したり、避難が遅れることによる被害の大きさから、軍規に反して一般市民を避難させたことが大きいようです。これは少年兵の活躍です。
つまり、岐阜空襲だけことさら取り上げて悲惨、可哀そうを繰り返してもそれは単なる体験でしかなく、話し、知ることで戦争は繰り返してはならない、やってはいけないことであると結論付ける事にはならないのではと思います。感情に結論をもっていくと、感情で戦争を肯定してしまうのです。感情に乗せられたバカ殿と家来では結局負ける戦争を繰り返すだけです。勝てば100万光年譲れても負ける戦争をやりたがるのは愚の骨頂です。ちょっと調べるまでは岐阜空襲なんて他でも似たような空襲あるじゃん、それより各務原空襲大変じゃん、名古屋だって大阪だって東京だって大空襲じゃん、あっちの方が大変じゃん、何より広島、長崎あるじゃん。原爆のこと話すときに人的被害の大きさを言うけどドレスデンの空襲のほうが悲惨じゃん、あれこそ全く意味のない爆撃じゃん、だから人的被害だけで悲惨を訴えても世界的に見たらしらけるだけだよと思っていた。戦争は戦略なので戦術だけをばらばらにして悲惨の比べっこをしても今後に活きなくて、連続しているものと考えたり、比較して、かわいそうな体験ではなく、やってはいけない負の遺産としてきちんと認識できるようにすべきじゃないっすかねえ。

なによりな、僕の祖父母はかわいそうじゃねぇ!じいさんはただ普通の生活を守るために戦ったし、ばあちゃんは銃後を必死にしたたかに守ったんだ!可哀そうとか悲惨で済まされるバカじゃない!

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