ROWGUNは清水さんの曲の映像。

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独自のモザイクパターンで絵を作るモザイコでおなじみの清水温度さんの曲の映像を作る。というのに参加しました。参加も何も清水さん以外は僕だけですが。
何かイメージある?的なことを聞かれましても、曲に対する感想はあっても何ってこともなく、予算もないですし、ないというのは少ないという意味ではありません。無いのです。0円です。動いたら赤字です。そんなですので、どうしようか考えあぐねてもで仕方がないので毎度おなじみの、撮っていたら何か思いつくんじゃないか方式です。それではいくらなんでも困るので、清水さんの誰かにギターも持って立ってもらう。というのを採用しました。採用という言葉の圧ほどに偉そうではありませんよ、言われたことを踏襲するという意味です。とはいえ予算はありませんので、これまでの経験則などからこの前のイベントなどでお世話になった商店街のお店の方々にお願いして回って撮りました。清水さんは思いがあるので色々ディレクションしていましたが、演技経験のない人に突然演技を付けても対した結果にならないことはわかっていたので、ギターを持ってただ立ってと言った最初だったり、撮っていないふりをしているときに撮ったものを使いました。撮っている間は清水さんはああでもないこうでもないと悩み続けています。それなら現場でここに書いたことを言えばよかったかというと、そうではありません。突然ギターを持っているところを撮らせてほしいとやってきたオッサン二人組がコンセンサスの取れていない会話をしたら被写体は不安になります。そういう状況に気づいたほうが合わせるのです。そんなんだからいいえが撮れないじゃん。そうです、撮れません。だから最初に相談することが大切なのです。しかし、そう言っても当日普段の癖が出たりします。そういうものです。ですので、違う演出で複数テイク撮ります。とか、練習中を撮ったりします。僕はだいたい写っていればいいのでどのように撮られても全然構わないのです。勿論、きちんと演出されたものを撮るときは違いますよ。ギターを持って立っているだけでは尺が足りないので清水さん本人も被写体になりました。

あまり乗り気にではないようでしたが、清水さんの作詞作曲編曲演奏歌唱ですので、出るのが自然じゃないかと思いました。それでもああでもない、自分では絵が持たないなどまだまだ悩み続け、結局、通しでフルコーラス撮り切ることはありませんでした。映像上、音に合っているように見えるのはリズムのタイミングだけ合わせて当て振りしている断片的なフッテージを曲に合わせているからです。ジャストより少し後ろにずらすようにしています。絵が曲を追いかけているような感じにしたかったのです。まだまだ素材が足りないのでfacebookで募集してみました。出演しても良い方はいいね!を押してもらい、後にメッセージを送って打ち合わせる方式です。そこで各務原市にあるスーパー銭湯の恵みの湯の星山さんにメッセージを送り、何度かやり取りのうちに恵みの湯に伺って撮ることになりました。多分、シャレでいいねを押したと思うんですが、僕はシャレは通じないことにしているのでOKとういうことで通してしまいました。予算なしなのに豪華なロケです。ありがたいです。現地ではどういうことか撮っているより話していることが長く、それはそれで学ぶことがありました。社長は大変だね。で、スタッフの方も紹介してもらって撮影。銭湯の中でも撮影。浴室に着衣で入ると熱気とか湿度で体力奪われて辛かった。勢いで行ってしまったのでここは反省点だ。絵としては銭湯じゃないと撮れない絵になったので充実度は高い。残念だったのはここではない既に廃墟になった銭湯では撮れなかったこと。予算なしで出来る範囲でとなるとここまでが限界だった。廃墟で撮るのは意外とお金かかるんですよ。ということで、ここでクランクアップ。ではなく、もう少し撮りたいので廃墟の銭湯のあるビルへは行きました。ロケ地ごとに日が違うので都合3日かかっております。三日目のロケ地も岐阜市柳ケ瀬です。今度は柳ケ瀬でも夜も賑やかじゃなくなってしまった西の柳ヶ瀬です。あれですよ、ラウンジとかバプとかバーとかそういう感じの飲み屋が多いところです。西洋のパブやバーとは違う日本式のものなのでオッサン同士でもカジュアルに飲みに行くアレじゃないです。あ、そうでなくてもオッサン同士で行くか。まぁいいや、昼間は閑散としている繁華街ですよ。そこで撮りました。もうちょっとやりようあったかなと反省。閑散としていようがいまいが怖い場所であることに変わりはないのでこっそり速やかに撮影して静かに撤収。こうやって書いて大げさという人は本物の怖いを知らない。

てなことで、それでももう少し粘って東の柳ヶ瀬へ。とはいえ、若干テンション下がってきている上に雨も強く降ってきてしまい、ここでクランクアップ。既に帰宅に向かっていましたが、その道中で気になった空間がありました。建物に囲まれた更地です。柳ヶ瀬はシャッター街として知られていますが、更に更地、青空駐車場化が進んでいます。そこを撮ろうと思いました。また西柳ヶ瀬まで戻ります。最後のロケは500mmズームとか三脚なども持って来ていたので荷物が凄く重いのです。Z1-Jを使っていたときはこれが最後のカメラと思って重いのも我慢していましたが、一眼レフになり、荷物の数はともかく重量は軽減出来ていると思ったんだけどな。年々荷物は多く重くなっていますね。しかし、これらを今回は二、三カットでしか使っていません。ここまでロケ地の場所のことを書いてきましたが、この辺りで機材について書きましょう。
今回は九割くらいをDJI Osmo Pocket(以下、Osmo Pocket)で撮っています。三脚無しでウェストレベルで構えれば三脚いらずでフィックスが撮れることと、カメラが小さく一般的な形でないために初めてや急な撮影でもプレッシャーが少ないと思ったからです。いつ撮っているかもわからないのは自然な表情が撮れてとても良かった。自然とはいつ撮られているかわからない不安も含めてだ。そして装備が軽いことも気に入っています。しかし先に書いたようにDSLRは常備していたし、バッテリーの予備も、場合によっては500mmズームと三脚も用意していたのだ。全く軽快ではない。助手でもいれば気楽だったかもしれないが予算はないのだ、助手もいない。装備はともかくOsmo Pocketは小さくて軽く、ただ撮影するだけなら若干の練習はいるにしてもとても扱いやすい。予備バッテリーもスマホなどのモバイルバッテリーを共用できるし、スマホをモニターにすることも可能だ。というか、きちんとモニターしたいなら外部モニターは必須だ。スマホを直付けするなら付属のコネクタで接続すればよいが、それではモニターしながらカメラの一を自由に動かせないのでセパレートしたい。Osmo Pocketはスマホと接続するコネクタの他にカメラの底面にUSB-Cコネクタが有る。充電用と解説があるが、映像データもここから出ているし、コントロールも出来る。ファームウェアのアップデートはスマホなどを繋いがないと出来ないが、それもここから可能だ。つまり二つの入出力口があるのだ。こちらにケーブルを繋ぐ場合は特にiOS端末の場合はスマホ側にLightning、Osmo Pocket側にUSB-Cになったケーブルが必要だ。これを買うのもなかなか面倒で、他に使う局面があれば構わないが、ここのために認証が取れているのかいないのか怪しいケーブルを使うわけにも行かないし、純正は対費用効果を考えると厳しい。で、どうするかと言うとダイソーでUSB-AとCを変換するコネクタを買ってきて繋いでいる。全く問題なく動作している。問題はLighting側なのだ。USBのほうは認証とか関係ないものね。これによってスマホとモバイルバッテリーを繋ぐケーブルと共用することが出来るので荷物を少しでも減らすことが出来るのだ。何度も言うが今回は全然減っていないけどな。スマホを繋ぐとすべてのコントロールをスマホ側で可能になるのに、録画データはカメラのマイクロSDカードに保存される。初期の頃はスマホで表示しているRECボタンを押していたが、左手では推しにくいのでRECボタンはカメラにある保端を押している。もともと初期の頃はスマホを繋いだらすカメラは操作できないと思いこんでいたのだった。スマホでモニターすることで画面が広くなり、構図を確認することが楽になった。Osmo Pocketだけだと1インチモニターだからな。このようにモニターをセパレートできると本当に気楽に撮影できる。RECスタートでビープ音らしきものが鳴るものの、自分以外には殆ど聞こえないことも良い。僕がスタートと言わなければいつ撮っているかわからないのだ。できるだけ撮っていることがわからないほうがいい。特に役者じゃない人を撮るときは大切だと思っている。大きなカメラで緊張感を持ってというのは役者じゃないと難しい。その難しさを待ってはいられないのだ、なにせ予算がないのだからね。とはいえ、やや思ったようなフレーミングにはならなかったが500mmで撮りたかった絵は撮れたのでクソ重い機材は役に立っている。無駄にはしないよ。
ということで、素材が揃ったら編集だ。今回は映像壊したいと清水さんはずーっと言っていて、それなのに僕は全然わからず。編集しながらずっと考えていました。それでも最初に書いた迷っている清水さんが面白いと思っているので、そのようにフッテージを並べていきました。壊すといったのにどういうことか理解が出来なかったので、それ以外の作りは出来ないかなと思っていまして。いわゆる画像をソラリゼーションかけたりスローとかかけたりタイミングも曲やリズムに合わせないとか言われても既にそれは効果の一つとして随分前に使われていますし、それに見づらい。気持ち悪い映像になるだけなのですよ。ストーリーのないノンムービーはそもそも曲を演奏しているだけの映像はノンムービーだしね。だから壊すと言われても失敗映像をデタラメに並べても、それは作り手の意志がないからなあ。それよりも今僕らはどう考えているんだろうか。とか、清水さんが悩んでいるさまをそのまま映像に出来たらいいかなと思ったのでそうしました。僕らはこんなに悩んで袋小路に入っているのに他の人達は何もせずともキラキラと輝いている。それでも街は空虚で雨まで降っている。悩んでみても変わらないので明るく生きようと思っているのにままならない。ような物語らしき意味を考えて作っています。カットがいつもより長いのもわざとで、キビキビとカットを切るのではなく、ルーズでだらしない感じやじれったく感じる長回しもわざとです。
壊すといえば、全体の色調はもとの画像から色を劣化させています。基本的に画像はとったままが一番画像の質が良いです。巷ではよく盛ると表現される色調の変化もすべて劣化させているのです。今回は更に意図的に劣化するようにしています。特にぼかしを少しかけてからアンシャープマスクを強めにかけると見事に劣化します。しかし地味すぎる劣化なために映えることはありませんね。他にもシャドー部分に補色を当ててピンライトかハードライトの合成モードでポスタライズしたような効果をつけています。偶然であってもいい背景になる場所を見つけてそこで撮ろうとしたら、まさか走り出して意図した背景が全く使えていない状態になるとは思いませんでした(笑)。ここ、鉄板が壁に無造作に貼られているようで面白かったんだけどな。西日を逆光で浴びれば確かに画像は汚くなりますが、そういうことではなく、ノイズや劣化はあっても画像としての密度は保つとか絵としてはリッチになっているとか、グランジを表現する(汚れたり壊しているように見えるが壊れていない。見てくれる人には荒々しい画面の感じを真に受けさせたいのですよ。)のじゃないかなあと思ったんですが、まぁ走り出しちゃったんで、そのままを撮りました。本当にそのままではどうにもならんのでそれなりにフォローしています。歌詞とは全く違うことを話しているようなカットやトラップが外れるカット、撮影スタートとカットの前と後の本来は使わない映像も使っています。そこが面白いと思ったからです。清水さんに限らず、楽器を演奏する人は演奏する前や後、演奏を間違えたりしているときが大変いい表情をしています。それ以外のギターを持っている人たちや風景はできるだけ彩度を上げて鮮やかになるようにしています。数フレームしか見えない建物に挟まれた更地は単純に白黒グレースケールにしています。多少コントラストを付けて絵の眠さをとるようにはしています。コープスブライドとか、色で住む世界を端的に表現するなど映画ではよくある表現方法です。よくあるだけにわかりやすい表現かと思うのですけど、どうですかねぇ。
清水さんの登場するカットだけレイヤーをたくさん重ねて画像全体に手を加えているのでレンダリングに半日程かかりましたよ。いつもこんなに時間かかってたのかなあ。何もなくてもトンチすらなくてもかっこよさげに見えるものを作れるよ!という一件でした。
あ、曲を作った清水さんが作ったバージョンもあります。

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