勝手にお勧めしたい日本製映画

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他所でやっていたので、自分の整理の為にも書き出してみた。黒澤明さん監督の映画は意識して入れていない。
他人にお勧めするほど映画は見ていないし、読み込んでもいないし、挙げるタイトルもありきたりだ。順番は不動だ。かっこ内は公開年と監督名。

太陽を盗んだ男(1979年 長谷川和彦)
理科教師が原爆を作って警察を脅す話。
犯罪者だが自由と自分の意思のある教師と、警察官として国に仕え、自分の意思は殆ど無い刑事の戦いでもある。荒唐無稽さとアクションやストーリーのバランスがよく、映画としてかっこいいと思っている。


殺人狂時代(1967年 岡本喜八)
チャップリンの同名映画とは無関係の日本オリジナルの映画。こちらは殺人狂たちの時代だ。
天本英世さん演じる溝呂木が本人のスペイン趣味も加わり、奇怪な殺人鬼を作り出している。登場人物全員が謎めいていて、主人公すら本人かどうかも怪しい。性的なモチーフは一切無いフェティッシュなかっこいい映画だと思っている。


鉄男II BODY HAMMER(1992年 塚本晋也)
体が鉄、正確には銃器になる兄弟の話。映像も音も鉄になった男を如何に表現することに集中している。これも見る人に擬似的に人体改造の感覚を植えつけるフェティッシュなかっこよさを持った映画だと思っている。

スワロウテイル(1996年 岩井俊二)
無国籍ノーフューチャー近未来ドラマ。ノーフューチャーで近未来って事は無いか。何時ではなく何処かが大切な世界の子どもたちの群集劇。中心は成人した人たちでもあれは子どもだろうな。巨大な社会を描かずに独自の作品世界を表現しているところがかっこいい映画だと思っている。


ソナチネ(1983年 北野武)
少し前まで北野さんの映画は“その男、凶暴につき”のリメイクをしているようなものと思っていて、だからダメではなく、どんどん研ぎ澄まされていくような感想を持っていた。そしてソナチネは良い刀になってしまったので、しばらく迷いが出たのではないかと適当に思っている。
この映画は映画の暴力であり、それがかっこよく作られていると思っている。


ルパン三世 カリオストロの城(1979年 宮崎駿)
宮崎駿がこの後に作る映画のほぼ全てのシーンが凝縮されている。素晴らしい点として大胆な引用がある。主に“やぶにらみの暴君”からだが、見るとそのまんまなのに見事に自分なりに消化している。ルパン三世としては面白みにかけるが、素晴らしいアニメーションとしては目茶苦茶面白い映画だと思っている。


GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊(1995年 押井守)
この映画は原作があり、映画自体も作品世界やキャラクター、ストーリーなどほぼ同一にも拘らず、原作とは全く違う印象がある。まるで原作と喧嘩しているような表現だ。原作も欄外に手書きでコマごとのいい訳が書いてあり積極臭いが、映画も俺のほうが説教臭いと張り合っているくらいに台詞が説教臭い。それなのにこの映画の見所は台詞ではなく、映像なのだ。


大怪獣東京に現わる(1998年 宮坂武志)
タイトルの大怪獣とはゴジラとガメラのこと。しかしこの映画には怪獣が登場しない。物語としては登場しているが、映像としては全く見えない。つまり怪獣無しで怪獣映画を作ってしまったのだ。
怪獣映画の怪獣の登場シーンだけ無い映画を想像して欲しい。それだ。パニック映画として物語を立てていて、そこに怪獣映画の面白さがあったんだなと確認させられた。つまり僕は怪獣映画を面白いと思っていたのはかっこいい怪獣が登場するからではなく、怪獣が存在する社会がどうなるかに興味があったんだ。

ガス人間第一号(1960年 本多猪四郎)
予告でも言っているようにスリラー映画の決定版だ。そして童貞の考えた童貞が主人公の童貞の為の映画だ。クソ童貞映画といっていいくらいだ。ガス人間になってしまった悲しみとガス人間になったから付き合うことが出来た喜びを結局死ぬことでしか表現できなかった哀れを描いている。そして変身人間シリーズ最終進化系としてかっこいい映画だと思っている。


座頭市物語(1962年 三隅研次)
一番最初に作られた座頭市の映画だ。町のやくざの抗争をふらりとやってきた按摩が全滅させてしまうのが、この語も続くシリーズのおおよその話の流れだ。基本は人情話なのでその人情に乗ることが一番の楽しみ方だが、差別されてもしたたかに生きる市の姿は、シリーズを重ねても失われずに描かれている点も良いと思っている。


実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2008年 若松孝二)
古い映画が多いと言われそうなので2000年代の映画も入れた。
タイトルがダサい。実録に道程だ。せっかく2000年なのに残念だ。しかし、映画は力強い。登場する人物には全く共感できないがこの映画自体には共感できる。お洒落映画を粉砕するには有り余る力強さだ。


馬鹿が戦車でやってくる(1964年 山田洋次)
山田洋次さんの映画は食わず嫌いだった。だって説教臭そうで優等生でやっぱり人情ものが一番で昔の日本映画が最高じゃんというものだと思っていたからだ。
じゃ、なんで“馬鹿が戦車でやってくる”なのか、それは馬鹿が戦車でやってくるからだ。比喩ではない、劇中クライマックスに本当に馬鹿が戦車に乗って村にやって来て嫌がらせをした奴の家を破壊するのだ。物語は村のいじめや差別なども描いていて、簡単に笑わせてくれない。
それで、先に書いた嫌な部分は気にならなかった。むしろ、映画のお手本のような作りだと思った。演劇の延長上の映画というか。三谷幸喜的な演劇のような映画ではなくてね。だから僕は山田洋次さんの映画について見方が変わった。が、これ以外は見ていない。


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