朝顔に蝸牛が這っていれば良かったが、別々に撮ってます。
朝露だとかっこいいのに、ただの雨降りの後なんだね。
おかげで蝸牛登場。
蝸牛は小学生頃にした見たことがなかった。社会に出てからはこういった小型の生物自体を見なくなっていて、今こうやって発見してるということは世間から随分離れた暮らしをしているんだなと思った。
とりたてて蝸牛に対して思いは無いので、これにておしまいなのだが、それでは難なので、
明治村に蝸牛庵という幸田露伴の家があり、増改築を繰り返していて、計算されて作られた家ではないが、だからこその生活観がある部分が良いと思っている。出来ればこういう家に住みたいが、今の日本の事情には合っていないので、予算が合ったとしてもこういう設計にはしないだろうな。
蝸牛の上には殆ど枯れた花があって。
手入れすればいいのにと思うが、よほどの園芸家でもないとこんなもんだ。綺麗な花が群生しているなんて、それこそバーチャルで架空の話だ。そういうものがあったらそれは人の手だけで作られているような人工的なものだ。
でも咲いている花が全部綺麗に揃っていてほしいと思ってしまうし、そうであって欲しいと思う。
人は勝手だ。
死ぬ花があれば生まれる花もある。