岐阜県美のミュージアムの女みたいなのを面白いと云っちゃうのは、あの作品の近くに座っている人を人格として認めていなかった、または認めていない、って思えてしまってダメだなあ。人は皆、そこにいるまでの人生ってあるもん。それを見逃していることが恥ずかしい。
あの人たちは学芸員でしょう、とりあえず美術館来た人なんかより美術に詳しいんだよw、特定の目の養われ方をした人が人を見てるんだよ、何もないわけないじゃんか。そうでもなくて、たまたま雇われたバイトだったとしても、何も考えない木偶人形じゃないんだよ。でも木偶人形が思ったより面白いこと書くじゃんwって思っちゃうから面白いって思うんだよ。これは恥ずべきことだよ。
って思った。
僕も絵を描いたりグラフィックデザインをしたり映像を作ってお金を戴いております。しかし所謂作家ではないですし、著名でもありません。所謂業者です。となると、ごく身近な人たち以外には感情のも無く意見を持たない機械のように思われます。ミュージアムの人はまだいい。描いたもので心があると後追いでも認知されたから。こちらはいつまでたってものっぺらぼうを要求されます。まぁ、これは仕事ができない自分が悪いんですが、それにしても意見を述べることはほぼ認められないです。
皆、今存在してる場所(場所と言う言葉に物理的以外の意味を感じるなら座標とでも言いましょうか)に存在するには何年も時間がかかっています。様々な経験をします。成功も失敗もあるでしょう。偉い人や賢い人だけに過去があるんじゃないんです。上手くいかなかった人にも過ごしてきた人生はあります。そういうものをきちんと見ることをたまにはしてもいいんじゃないっすかねぇ。
とかミュージアムの女(だったっけ?)が凄く取り上げられた時に思ったんです。その時書くの忘れてましたけど。