何度目かのゴジラvsモスラを見た。

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ゴジラvsモスラ(Godzilla and Mothra : The Battle for Earth)(1992年 日本 監督/大河原孝夫(本編)川北紘一 (特撮))

これはゴジラvsキングギドラとゴジラvsメカゴジラにはさまれて公開されていたので、メカゴジラに関係することが登場するかと思って見てしまったのだった。結果は全然無関係だった。

チャレンジしてるなーと思ったのが、子どもの手にコスモスが乗るシーン。手の上にがっちりコスモスを合成しているわけだが、カラコレすら何故か出来ていないので一生懸命合成しているのが丸出しになっている。大昔に作られたモスラなどでは、小美人が登場するシーンは極力人間に直接触らないように工夫していた。合成できなかったからかも知れないが、結果として違和感の無い映像になっていた。なまじ合成できた為にやっちゃったパターンかもしれないね。

特撮シーンはカメラが置きやすい位置で、シーンの全体が見渡せる位置から撮っているように見えた。やや俯瞰で撮るとそこにある情報が多く見えるので、単に説明するときは良い位置だと思う。でも映画の場合はシーンの情報を全部見せる事よりもふんだんになる情報を上手いこと隠して雰囲気を作っていく事を重視したほうがよくないかな?特にこういう特撮もの、巨大怪獣ものは作りものの部分の情報量が実写に比べて少ないので、全部丸出しになるような位置から撮らないほうが懸命じゃないかと思うね。それとこの映画に限らず、ゴジラものはカメラの高さが寄りでも引きでも殆どゴジラと同じ目線で、巨大感が感じられない。ゴジラの着ぐるみが人より大きいことはわかります。ただそこに存在するのが大きな着ぐるみであることが分かるだけで、100m位の巨大な生き物がいるようには感じられないですね。それは首から肩にかけての関節が無く、がっちり固定されていることも関係あるんじゃないかな。彫像の様に止まっていればかっこいい形のゴジラだと思う。でも映画は止まっていては作れないのだった。カメラや三脚が大きくてこれ以上低く出来なかったかもしれないが、カメラを固定する道具くらい製作費で作るよなあ。

名古屋でモスラと戦車隊が戦っているシーンのビルもディティールにスケール感が感じられない点が気になったけど、一番気になるのは地面だ。ベニヤ板の上に戦車とビルの模型を並べているようになっていた。もしかしたら地面は映さないつもりだったかもしれない。自分で作るときも地面は気をつけよう。

これで思い出したのが、大昔に模型製作会社に出入りしてた頃、そこの社長の友人でプラモメーカーの依頼で展示用のジオラマを作っている方がいて、複数人でチームを組んで作ったんだね。戦車、フィギュア、建物や樹木、地面などのベース(土台)作りと全体の構成といった具合に。で、ベース作りの人が全体の構成を担当してるということはベース作ってる人がリーダーなのだ。戦車を作ってる人じゃない。戦車を作ってる人がリーダーでも構わないけど、かなり出来る人じゃないとメインの戦車を作ってる人が全体を俯瞰してジオラマとしてまとめをして完成させるのは無理な話。怪獣ものの場合も怪獣だけに捕らわれずに映画全体を俯瞰して見れないと、静止したブツ撮り状態で恰好いい怪獣しか作れない。

毎度だけど怪獣は一体で充分だね。今回はゴジラが要らないなあ。コスモスがたくさん歌う曲は良かったよ。

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