字幕的装飾テロップが嫌いだ。これを入れるなら仕事をしない。聞こえづらい方々のためのサポートならば理解できるが装飾するあれはそうではない。(そうだと言うならば詭弁だ)嫌いな理由は発注者や制作者が稼働することで仕事をした感じのする達成感のためであったり、視聴者に注目してほしい(笑ってほしいなど)のマーキングになっていたり、制作の殆どを装飾テロップに費やしてしまっている、あくまでも演出の一部のはずなのに、制作の全部になりかねない状態であることなどだ。しかも安い(制作費が)。
しかし、入れるならばどこに気を付けるべきかは考えるようにしている。第一は書体でも大きさでも色でもない。タイミングだ。先に書いたようにここで笑ってほしい、受けてほしいからのマーキングで、テロップで視聴者をコントロールしたいのだ。ならば正しくコントロールすべきなんだ。大宅壮一はTVによる一億総白痴化を嘆いたが、やりたいことはまさにそれだ。僕らも視聴者を白痴にできる時代になったんだ。実際白痴になられては今後の制作物のクオリティに関わるので賢くなってもらわないと困るんだが。そのタイミングについてはハワイで開催する会員制のセミナーに出席して尚且つ壺を買ってもらわないと話せない。(なんてことはないものの、それなりにノウハウなので言わないっすねー。)漫才の突っ込みのタイミングが参考になると思う。気にして見ていると思っているより早く突っ込んでいる。テロップを下げるときは若干ルーズにすると言葉が残りやすい。
ホワイトボードに専用マーカーでドローイング。