林悦子著、松本清張映像の世界―霧にかけた夢を読んだ。
出版元のワイズ出版のウェブサイトにある紹介文によると
松本清張と共に映像化の仕事にたずさわった林悦子が、松本清張がどれだけ自分の原作をイメージ豊かに映像化することにこだわったかを描く。
松本清張原作映像化(TV化、映画化)全リストを掲載した映像人間、松本清張の決定本。映像化にこだわった松本清張の知られざる姿が浮き彫りになる。
紹介文を引用したのは簡潔で的確な文だと思ったからだ。実際に本書は映像化のこだわりがそれぞれどこにあるか著者本人の回顧録も含めて書かれている。著者が松本清張原作の映像化などのための企画製作のプロダクション霧プロダクション及び霧企画で働いていた(題名は忘れたが林悦子氏は霧プロを創業したように書かれた本があるが、林氏は創業者ではない。この本でも霧プロに就職する件も書かれている)、プロデューサーであり、当事者なのだ。
金だったり仁義だったり、作家の真摯な思いだったり、真摯な思いと下世話な感じが素直に出ていて読みにくいのではないかと身構えたのは稀有だった。かと言って楽しい文ではないし、よくある話とも言えるが、映画やTVドラマなど映像化が多い松本清張氏がいたからこそ、よくある話があちこちで聞かれるのだと思う。ここがオリジナルである可能性が大きい。僕は松本清張の小説を読んだことはないし、映画を通してしか興味を持っていない。TVでドラマを見たのは家政婦は見た!を何度かみた程度だし、映画だって鬼畜と砂の器しか見たことがない。サスペンスや松本清張氏自身に興味のない者にとって、今となっては量産されるTVドラマの元ネタ程度の認識だ。映像としても魅力の前にこすりすぎた原作者の印象があまりにも強い。
このように対して興味の薄い松本清張原作の映像化に関する回顧録など更に興味のないものなのに探して読んだのは(あ、図書館で探しました)砂の器の件が載っているとtwitterで知ったからだ。
砂の器の件というのは、2019年に砂の器の何度目かのTVドラマ化があり、ハンセン病が物語のモチーフの一つになっているはずが殺人事件に変更されており、この変更は製作者側の案なのか、どこかからの意見によって変更になったのか疑問であり、謂れなき差別を生み出すには自ら起こした犯罪では成り立たないのではないか、自分では逃れられない病気を患ったからこそ発生するものではないかと疑問に思ったからだ。そこで、twitterで知ったことをもとに本を探し、読んでみると見つけることが出来なかったのです。その書き込みをされた方に直接返信で聞いてみると「トランクルームに入れてますので手元になくてお応えできないです。」とのことで、わからないままです。できれば書いてなかったのではなく、僕が見落としていたことになってほしいと思っています。他に探すの面倒ですし。
最近は読みながらメモを取るように努めていて、今回も多少はメモも取れたのでその点だけでも良かったかなと思います。(本当はこの本に砂の器の件が載っていなかったらたくさんRTされてるツイートが面倒になるので嫌だなあと思っています。)
【追記】
その後、記憶違いと訂正ツイートがありました。
結局わからずじまい。
まぁね、この本は砂の器の映画公開以降に作られた霧プロダクションが関わる映像作品の回顧録なので砂の器ついての直接の言及は無くてもおかしくないんだよね。あるとするなら、製作上のトラブルで砂の器でも似たようなことがあったみたいな記述になる。
読み違いなら程度が低くて申し訳ないが、先にも書いた通りにこの物語ではハンセン病という具体的な病気であることより、謂れなき差別に見舞われることが必要なので自らが犯罪者になってしまっては意味が変わることを作者が望むのだろうか。