さよならテレビ(2019年 日本 監督/圡方宏史)
観に行ったのは1月3日、シネマテークです。東海地方に住んでいるのにオンエアで観ませんでした。正しくは見れなかった。東海テレビはなぜ宣伝してくれないのか。っていうか、他の在名局だけでなくテレビドラマやドキュメンタリーでなんとか賞を受賞したタイトルはほぼオンエアをこっそり宣伝する。だから受賞を自社のニュース番組で報道したときに知ることになるのです。そこを一番考えて欲しい。
で、東海地方では地上波でオンエアしていた「番組」を映画館で見ることになりました。何度も書くが番組でなくて映画になっていたので映画館で観て正解だったものの、体裁として番組であればテレビのオンエアで観たかったよ。
あ、今回は結構長いよ、面白かったからね。
名古屋では映画なんて作れていないとか、その環境がないとか言った人。これを見ろとも言えるし、絶対見るなとも言えます。なぜならばこれは名古屋で考えて撮影して作った映画だからです。才能なんてどこにでもいくらでもあるよ。
この映画の面白い点はテレビの発想で映画を作ってしまっていることです。僕はこれはテレビドラマでもドキュメンタリーでもなく、フィクションの映画だと思いました。
そもそも見たいと思った動機はネットの片隅で話題になっていたからです。そしてその前に話題になり自分でも気になっていたヤクザと憲法を見なかったことの後悔もありました。それにブレーキをかけていたのはオンエアが見れる状況なのにその情報を知らず、見ることができなかった、劇場が遠い、その間に人生フルーツをうっかりオンエアで見てしまい、あんまり良くなかったのでハズレをつかまされる辛さを味わいたくなかったからです。この映画を良くないと思ったのは、樹木希林さんを持ち上げすぎているからです。勿論ダメな部分をあげつらえば良くできたドキュメンタリーになるなんてことはないです。特定の人物を尊敬に値する人として描きたいなら、自分が尊敬していることを見せるのではなく、尊敬すべきと思う本人の行動や思いをシンプルに描写することだと思います。この映画は主演が亡くなって間もないこともあり、そうできないのだったのでしょうが、それなら作るタイミングが良くないと思います。
僕にとってハズレだけオンエアを見る、悪かったような良かったことがあり、さよならテレビも迷いました。
まだ映画の感想じゃないのはこの映画が面白かったらです。
過去作品はテレビ会社が作っているのに未だ再放送もパッケージ化も、当然配信もありません。すればいいのにと思いますけど。技術的に可能なことをあえてやらないのは、結局よそに先を越されるだけなので上手にコントロールしてやればいいのにと思います。
個人的に仕事とか生活などで思うこともあり、ほんと、そろそろきちんと形になるものを作りたいなと思ったり。明日誕生日だし、前倒しの誕生日祝いってことで行くか!
という気合のわりには当日起きたらあんまり行きたくなくなっていて、1回目のギリギリ間に合う時間にしか家を出られなく、電車は遅れ、上映開始の午前10時に到着してしまったので一回目で見れず、次の上映まで2時間だと思いましたら4時間待ちでした。一本別の映画を上映していたのです。もう今日はさよならテレビを見る日だ。そう決めてせっかく出かけたので貧乏性も手伝ってあちこち撮影して、どういう事か歩けるだけ歩いてみたり、さよならテレビを見る日より、当てもなく歩く日のようになっていた。歩くのは問題ないが今池は街として微妙な立ち位置なために都会的なものもなく、かと言って田舎の田園風景が広がるわけもなく、くたびれた住宅街でもなくまさに撮るものがない状況だった。個人情報的なものを無視すれば多少はあるんですよ。それでも曰く言い難い外国人の男のたむろする場所などいい味は出しているが、撮りづらい感じだったっり、やっぱり撮れないじゃないかということで、そろそろ時間も潰せた塩梅なのでシネマテークに戻る。ここが最も撮るものがある情報量なのだよね。
かといって凄くいいわけじゃない。いわゆるマニアックな場所ではあるが映画のチラシやポスターがいっぱいあるのはもういいかな。僕がもっと若ければ凄く良い場所と思うかも知れない。楽なんだけどね、その楽な感じは全面に押し出さなくてももういい。
でもこういう単館じゃないいとさよならテレビは上映しないからなあ。
暇潰したもののそれでもまだ早いのでロビーに人は一人だけだった。待ちつつその辺のチラシを読んだり、iPadで絵の途中を描いたりしていた。上映時間30分くらい前位なると六畳間くらいのロビーが鮨詰めになり、昭和の映画館みたいだ。しかし、昭和ではないのは映画が入換制なのだ。昭和なら映画館へ行けば上映が始まっていても入れるし、何回でも見てよかった。シネマテークは昭和からあり、最初から入換制なので全然変わらないんだけどね。そして最前列の席が座布団で体操座りなのも健在だ。業界どころか出演者も見に来ちゃう内輪感も凄い。小さな劇場でも立ち見満員に遭遇するのは何年ぶりだろう。単館だと意外とあるけどね。
この日にわざわざ見に来たのは監督とプロデューサーの舞台挨拶があるからだ。これ、どうか?と問われると無くても良かったかなと思いと聞けるならそれはそれで貴重だとも言えて微妙な感じ。
内容は民放テレビ会社の情報番組における悲喜交々を主に二人の派遣社員と一人の社員アナウンサーと通じて描くような内容です。ですが斜に構えた自己批判する俺はかっこいいようなことは全然無く、いや、見ていると途中どころかほぼ最後までそういう誤解をしてしまうのです。なんか変だなとは思うんですけどね。冒頭の瞬間的な熱量とそこからの失速が生っぽい感じ。あえて出演者にこの映画をつまらないように言わせたり、この映画自体の存在を疑問視したりする点もこういうドキュメンタリーを好きな人や良いと思う人が共感しやすい状況を作り出している。僕もそう思いました。映画になのか監督になのか、完全に乗せられるのです。途中から先に挙げた三人がやたらフォーカスされ、失敗が映画として都合のよいタイミングで起きるのです。新人の契約社員の普段からにやけた表情が、まぁ、いわゆる殺したくなるくらいのムカつく感じで、こいつはどこに行っても恥ずかしく、多分人生は何があってもうまくいかない典型的な人に見え、最後はそのにやけた表情も死にそうな真顔になるくらいに失敗を繰り返します。それがリアルかつ嘘くさい。もう一人の派遣社員の熱さも見事なリアリティを持った嘘くさい感じ。この二人がとてもいい味を出していて、観ながらいいぞ!キャラが立っている!映画自体が見やすいし、観客が共感しやすいとか思いましたら、まんまとはめられた。アナウンサーは本当の不祥事もあり、そこからの再起にもがく様はきついシリアスな感じはした。
自らの不祥事ではなくとも情報番組のMCは途中からこれはフェイクドキュメンタリーかモキュメンタリーか、単なるやらせか、モヤモヤと疑問が出てきた。そして、最後の最後でネタばらし、しかし、これをやることでこの映画が嘘か本当か分からなくなってしまう。本当にこの内容はドキュメンタリーなのかフィクションなのか実際どっちなのだろう。自分の職場の日常を切り取り、素材は事実でも任意の視点で編集することでフィクションになっっているのかも知れない。この作りこそがテレビ的であり、あえての問題定義かもしれない。べつにいちいち映画で世の中に問うw!とかやらなくていい。でもこの作りはテレビのやり方で映画を作ってしまったなと思いました。
これに近い作りの映画はカメラを止めるな!です。前半のしょうもないホラー映画と続く種明かし的なフェイクドキュメント。カメラを止めるな!はホラー映画が全くおもしろくありませんが、さよならテレビはホラー映画に対応する部分(ほとんど全部だけど)も面白い。そして種明かし。だからコイツら信用できねぇ!マスゴミめ!なのにだからTV(的なるもの)が面白いと思いました。