何度目かの、新・座頭市物語を見た。

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新・座頭市物語(英題/New Tale of Zatoichi 監督/田中徳三 1963年 日本)
続・座頭市物語の感想で若いころの喧嘩友達に会うと書いていたが、それはこの新・座頭市だった。続けてみると混ざってしまう。それくらい物語の構成が似ている。三作目にして既にパーフェクトなマンネリを作り出している。このマンネリは二作目からのもので一作目は違う。一作目では市の個人情報(過去ではなく)がそれほど披露されないのだ。旅での出会い、差別からの暴力被害、賭場、個人情報の公開、市が引くことでの女の失恋、耐え忍んだ頂点での怒りのクライマックス。暴力で解決したことにより居場所を無くし、立ち去る。大体こんな要素を組み替えて座頭市の映画は作られている。毎回同じともいえるが、この同じことを退屈に感じさせないことがこのシリーズの面白さだ。
このシーンは弥生が市に求婚する場面で、弥生のいる位置が分からないので反対向いて手をついている。これを何も注意せず、市もこれまでの感じだと人のいる位置は気配でわかるはずなのにそれができていないことで気持ちを表している。と思いたいが、単に目が見えないので弥生の場所が分からず壁に向かって頭を下げているだけなのかもしれない。

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他に注目したいのは市の髪型だ。この三作でだいぶ伸びている。スキンヘッドの一作目の風体が座頭市のキャラクターにあっているのではと思うが、この三作目あたりのような感じだと勝新による座頭市の感覚ではないかと思う。このままどんどん髪が長くなるんじゃないかとは思わないが、あまりスキンヘッドにこだわりはないようだ。多分不知火検校からの試行錯誤があったのかな。
殺陣も注目する点で、動きの速さよりも刀の持ち方や斬る動作の前の動きなどに注目したい。斬る動作はそんなに丁寧じゃないので結構ふわっとしている。いいなと思うのは動きが全然格好良く無いのだ。見て斬っていないように見えることと、構えているときは、防御の姿勢になっている点だ。勇ましく自分から斬る姿勢は見せていない。居合切りで、常に受身であるからそうなるのだろうが。市以外にも師である伴野弥十郎も刀を抜いて歩くときは刃を下にして体を揺らさないようにしていた。この姿は勇ましい感じはしない、ややオネェ感があるくらいだ。まだ斬撃音は付かないが、刀が空を切る音は付いている。既に斬撃音があることが当たり前の時代に生まれ育っているので、斬撃音を付けない選択が理解できない。他の衣擦れみたいな音は付けているのにね。そしてこの三作目からカラーです。

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