オリンピックの身代金〜1964年・夏〜(013年11月30日 – 12月1日にテレビ朝日開局55周年記念番組 監督/藤田明二)
1964年の日本の建物や交通機関などをどのように再現しているか確認したかったので見た。物語は東京オリンピックを舞台にしなくても見た事のある内容だったので、関心はなかった。やる気のアピールが少ない太陽を盗んだ男や常に負けているダークナイトなどを想像して貰うとわかりやすいかと思う。たぶん、刑事を主人公にしたためにそのように見えるのだろう。常に原作と映像作品は別なものだと思っているが、あえて読んでいない原作の持ち出すと主人公は犯人だったらしい。
キャストがオールスターというか、TVでよく見る人たちだったためか、それぞれの役としてのキャラクターより、個人のキャラクターが浮き出てしまって、物語を見ているよりもTVを見ている感じになってしまった。出来るだけ普段はTVを見ないようにするか、演出などの方法を工夫するところだろう。
問題の確認したかった建築物などの再現に関しては、フレームに入るぎりぎりだけ作り込むようなつくりでした。上手いなあ。妙に手前に謎の物体を置いて、フレームを擬似的に正方形に近くしているのは謎だったな。被写界震度の浅さもフィルム的、映画的絵作りより、再現できなかった風景をカバーしているように思った。ヘアメイクや衣装は上手かったな。メイクや髪の毛は多分当時の雰囲気を今風にアレンジしてるのだろう。ラストに近くなると東京オリンピックの映画がたくさん引用されていて、最終的には東京オリンピックの映画のシーンを拝借してまとめてしまうという、ちょっとがっかりな方向へ行ってしまった。
島崎がどの組織からも四面楚歌になり、いや、そもそも誰からも嫌がられていた。犯罪の動機については刑事の落合に共感されてしまったので、自分なりの正義が唯一のものではなくなり、単なる犯罪者になってしまったのも残念だった。TVだと犯罪者を主人公には出来ないのだろうか。落合は射撃が目茶苦茶上手くて二人に発砲しているが、二人ともビシッと心臓や首、頚動脈にヒットさせ、殺している。射殺してよいと言われているが落合は射殺する気持ちは無かったように演技しているし、話もそのように進んでいたと思ったが、何故致命傷を与えるような箇所を狙ったのだろうか。笠原栄子がやたらがんがん前に出てくるが、物語上の意味は無かった。当時の女性で社会的に出来る人はさまざまな意味で出来る人だろうから、登場させるなら意味のある役にすべきじゃないかなと思った。当時は女なんか社会に出て無いとかいう人もいたりするけど、そんなことはなく、強い差別にあっても必死に社会で仕事をしている人は少なからずいた。また須賀忠も設定上も物語り上も居場所が無いようだった。
尺も前後編合わせて四時間弱なのも間延びしているように思えた。テレビ会社の開局記念番組であり、番組としてのスペックに景気のいい感じが欲しかったのだろう。結局物語について書いてしまった。要は長かったということでした。