何度目かのフランケンシュタインの逆襲を見た。

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フランケンシュタインの逆襲(原題/The Curse of Frankenstein)(1957年 イギリス 監督/テレンス・フィッシャー)

ハマーフィルムプロダクション(以下、ハマプロとしたかったが、浜プロっぽく聞こえるのでハマーとする。)のフランケンシュタインシリーズは昔に読んだホラー映画の解説に怪物の造形及びデザインがダサい的なことが載っていたので全然見なかった。ユニバーサルのフランケンもキャラクター物に特化していったようでこちらもフランケンシュタインの花嫁(以下、花嫁)以外は見ていなかった。あ、花嫁は面白く見れますよ。多分パッケージになってるものはモノクロが綺麗だったと思う。

縁があってハマーのフランケンシュタインをシリーズ通して見ることが出来た。感想は思ってた話じゃなくて面白かった。どの辺りが思っていた話じゃなかったかと問うならば、フランケンシュタイン博士の話なのだ。怪物も登場するが、あくまでも博士が何をしたかなのだ。食わず嫌いはよくないね。解説の重要さも知ったよ。
この逆襲は一作目で、続くシリーズの博士と助手、怪物、メイド、博士の住む村や町の人といったキャラクターの配置はほぼ一作目を踏襲していて、関わり方が変わって来る。助手とメイドがそのまま忠実な助手でもメイドでもなく、キャラクター性が強い。博士もいかれた悪い人としての気狂い博士でなく、行き過ぎた研究熱心な医者として描かれている。熱心すぎて殺人までする。
怪物は完成するが、後年に見られる全く新規の怪物ではなく、死体を繋ぎ合わせ、移植した脳の持ち主の人格になるという、意外と現実志向というか、リアルな方向性だった。リアルっていっても発想は職人の手に天才学者の脳を組み合わせれば完璧じゃんという、近所の小学生の様な発想の下に全てが進められている。この脳を移植中に助手がミスったので怪物がバカになるのだが、助手のミスをやたらあげつらう。天才性と心の狭さの反比例が狂気を増している。
怪物は殺人を犯すが、早くに死んでしまい、その容疑は博士にかけれれる。怪物の存在を誰にも信じて貰えず、助手にも裏切られ、死刑が決まり、ギロチンに向かうところで映画は終わる。
怪物のデザインがパッとしない、どちらかというと普通の少し大柄な人なのも予算が少ないことも理由だろうが、映画を見ると納得できた。予告や日本版ポスター、ビデオのパッケージなど、内容とは全然合っていないのは残念だ。

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