何度目かの静かなる決闘(1949年 日本 監督/黒澤明)を見た。
昔の映画なので、台詞が硬くて直線的なので古いと感じてしまう。一つずつのシチュエーションはストーリー上刺激的だが映画全体としては単調に感じる。テーマは黒澤的で画面のレイアウトも黒沢映画ならではの腰の据わった構図。でも今だと静止画として完成された構図よりカメラも動く動的な構図が特殊ではないのでやっぱり単調で退屈してしまう。
単調で退屈でもこのストーリーに共感より共有せざるを得ないのは、ラストで死んだ胎児が登場する。あれは僕だ。正確にはあの胎児が生きていれば僕だ。だからとても他人の話、フィクション、単なる作り話で済ませられない。この物語がかつての話で済ますとことも別の病気と置き換えて考えることも出来ない。僕が生きている以上、この話は過去の話ではない。終わってもいない。しかしだからといって傑作かというとそうではないと思う。描き切れない部分があったように思う。重いテーマと一人のキャラクターを中心に描くのは主人公が聖人にならないとやりようが無いのかなと思ってしまう。
主人公の医師、藤崎恭二と看護師の峯岸るいの関係は『生きる』の渡邊勘治と小田切とよの関係を髣髴させる。生きることに迷う男に答えを見出させる生き方を示す女だ。
看護師、峯岸るいを演じた千石規子さんは『怪獣大戦争』で主人公の住む下宿のおばさん役だったのは最近知った。全然違う役柄だ。今、若手でアイドルみたいなことをやっている人でも年を取るとこういう役もやるようになるのだろうか。というか、なるといいね。馬鹿にしてんじゃなくて、年齢にあわせた役が出来ることも素晴らしいし、役者を続けられることも素晴らしいと思う。